07/08/03
皇族は日本国民か?(戸籍制度 1)
国民の定義を、説明している内に、基本的人権、3権分立問題、その実質をになう司法権の独立問題、更には、その担い手である裁判官の給源である司法修習生の問題に話しが移り、法曹一元問題、高齢社会の教育のあり方まで、話しが流れてしまいました
再び、国民の定義に戻りましょう。
6月7日の「天皇は人か?」のコラムの続きです。
明治憲法を見て来ましたが、6月7日以来の連続コラムを見ていただければ、皇族は、臣民でない事が分かりますね。
皇族は元来「民」ではないのですから、国「民」、人民でもないのです。
国の中での人間の種類は、支配、被支配の関係で見れば、支配者、支配者に仕える臣、被支配者の3種類(場合によっては他国の使者など客人を入れると4種類)に別れるでしょう。
その中で、被支配者を「民」(たみ)と昔から言い習わして来ました。
支配者の手足となる「臣」今の言葉で言えば、官僚は、民から選別されたエリートという位置付けですが、基本的には「民」の仲間です。
皇族である限り、支配者の一族であって、民ではありません。
臣籍に下して、始めて民になるのです。(源または平の姓を賜る)
従って、民の法律である民法の適用は有りませんし、戸籍も有り得ません。
大化の改新で、班田収授法が採用され、口分田が戸籍に従って分配されたのは、御存じのとおりであって、その最初から、戸籍は人民を管理する為にあるのです。
近年でも、明治政府が成立してから、戸籍の整備は最重要課題でした。
維新の混乱から、秩序回復するには人民の把握が第1ですし、税の徴収、徴兵制、学制の実施等々、近代国家の構築には、国民の正確な把握と管理が急務だったからです。
この為、版籍奉還よりも前から、先ず、明治元年には京都で戸籍制を実施し、2年2月には、政府直轄地での戸籍編成を命じ、これが明治3年(康午の年でした)には整備されて康午戸籍といわれています。(これが短期間に、全国の3分の1に達したようですから、政府の熱意が窺われます。)
更に4年4月には全国を対象とする所謂「壬申戸籍」が公布されたのです。
廃藩置県が同年7月ですから、その前に政府が、全国の国民を直接把握する戸籍が、整備されたのですから、如何に明治政府が力を入れていたか分かるでしょう。
このように戸籍は、統治対象を把握する為のものですから、統治者の一族である皇族が、入らないのは当たり前です。
その代わり、「皇統譜」と言う家系図みたいなものが有ることは、以前に紹介しました。
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