07/04/03

法曹一元 2(司法修習制度は一里塚)

それにしても、法曹一元の一里塚として、画期的な司法修習制度が始まったのですが、
その理念が拡張して行くどころか、縮小する一方であったのは、歴史が証明しているとおりです。
戦前の制度では、試験に合格しても、裁判官、検事については独自の研修があって、弁護士にはありませんでした。
アメリカ・G,H,Qとしては、いきなり法曹一元を要求、強制しても、共通の人材が育っていない以上は、絵に画いた餅になると考えて、まず共通の養成機関で、能力対等な法曹養成をして行こうと考えたと思われます。
司法権の独立のコラムで書きましたように、制度を作っても、その担い手の能力が低いと根付かないと説明しました。
アメリカ占領軍G,H,Qは、言うまでもなく、アメリカ流の法曹一元こそ、民主主義の基礎であると考えていたでしょう。
司法権の独立の為には、行政から形式的に独立していても、官僚機構で育って同じ官僚的発想を叩き込まれた裁判官が、裁判をしていたのでは、結局似た発想で吟味しすることになります。
それでは当事者ではない、第3者が「違った目で見直す」実質がなくなってしまう虞れがあります。
「行政のプロでない人が、見直すこと」にもう一度司法権がチェックする意味があるのです。チェックする以上は、「現場担当者以上に、行政に精通していなければならない。」と考える人が多いと思いますが、それは誤りです。
それは誤り、ミスをなくす為の、内部チェックシステムとの混同・誤解をしているのです。
細かい計算ミスや、手続きも裁判の対象になったりしますが、もっと重要な役割は、外部の第3者の目線で行政そのものが見直されるところに意義があるのです。
今外部取り締まり役等のチェック機能が、問われているのも、その意味で価値があるからでしょう。
外部役員がその会社の仕事に精通している訳がないのは、当然です。
官僚教育を受けた人が、行政官と同じ考え方で「身分だけ裁判官です。」と言っても、国民に対するごまかしでしかありません。
会社で言えば、社長の覚えめでたい人が、社長から推薦されて監査役になっているのと同じです。株式会社では、殆ど監査役の機能を果たせていない現実を見れば分かるでしょう。
行政官上がりの裁判官では、(行政裁判所と同じで)行政裁判と言っても、重箱のスミを突くようなミス捜しくらいならば、原告が勝つことがありますが、3権分立に基づく本来の行政訴訟では、殆ど勝てなくなってしまいます。
そこで、在野で弁護士としての経験を積んだ人から、裁判官を選ぶ制度が、真の民主主義を守る為に要請されて来るのです。




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