らい予防法の歴史7(国際常識と厚生省の非常識)
国際らい医学会では、以上の理由から、早くから方針転換していたのに、日本政府だけはダム政策や有明海などの埋め立てなどの公共工事政策同様に「一旦始めたものは絶対にやめない」と言う頑固さで、これを聞き入れずさらに強化して平成8年まで来たのですから驚きです。
もしかして、内務官僚・・その遺鉢を継ぐ厚生官僚は、人を監禁し、虐げることに快感を覚えていて、その権限を手放したくなかったのでしょうか?
・・・戦後「1958年には東京で開かれた第7回国際らい学会で強制隔離政策をとる政策を全面的に破棄するよう批判されたが、国は全く聞き入れようとしなかった」
とウイキペデイアに書かれています。
戦後も内務官僚出身者・・厚生官僚は、独善的な姿勢で、国際学会からの勧告を無視し続けてきたのでした。
薬害エイズやその他多くの国家賠償紛争は、厚生官僚がアメリカなどの先進国で既に判明している知見を無視し続けて、被害を拡大した事件が多いのですが、ライ病に関しても同じことが言えるのです。
内務省とは内向きの役所のことでしょうが、それにしても国際常識を無視しすぎ・・内弁慶がひどすぎませんか?
それにしても、アスベスト被害や薬害エイズなどは、イキナリ禁止すると困る特定業界の救済的意味合いがあって、人の健康被害を守るよりは業界保護のために使用禁止を遅らせたことがある程度推測出来ますが、ライ病の場合、どのような業界保護があったのでしょうか?
厚生官僚や、これに関係する医師は、国際的にも医学的に根拠がないとされてきた強制隔離政策や断種手術をその後も平成8年まで続けていたのは、関係者の職域確保程度にしか、その合理的理由が見出せません。
それとも、単に、弱者をいたぶり続けることに対する自己満足というだけの動機で、戦後さらに強制や懲罰を強化して来たのでしょうか?
各種政策ミスは、計画当初は正しかったのが時代の変化で必要性がなくなったと言うことが多いのですが、らい病関係の隔離や優生手術の強行は、(同意を得たことにしていますが・・・)当初から弱者イジメ以外には意味のない誤りだったのですから、恐るべきことでした。
無抵抗な弱者をいたぶり続けるこの制度を、温存し続けることに対し、関係者には良心の痛みがなかったのでしょうか?
法律を廃止しても、なお過去の誤りを認めない厚生官僚は、何と2001年(平成13年)5月11日、熊本地裁による国の隔離政策の継続は違憲であったとする判断が出るまで、自己正当化の主張を続けていたのです。
1915年の最初の優生手術から数えて、1世紀近くもたっているのです。
この判決を小泉総理・・政府は受け入れて、・・いろんな方向で小泉さんは決断できる総理でした・・ついに隔離政策の誤りを政府が認めたのです。
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