06/05/08
らい予防法の歴史5(国際常識と厚生省の非常識)
内務省とこれを引き継いだ厚生省や関連医師は、感染性のものであるが、その感染性はきわめて弱いと分かってからも、その点を国民には隠して感染の危険があると宣伝して、無理に親から引き剥がして強制収容をしていたのです。
他方で、遺伝ではないかと言う俗世間での誤解を理由にして優生手術も強化すると言う良いとこ取りというか、矛盾したつまみ食いで、平成8年のらい予防法廃止までの長きにわたって人権蹂躙を続けてきたのです。
明治40年にできた戦前の法律は、同時期にできた精神病院法関係と同様に政府には当時受け入れ能力がなかったことが幸いして、まだ一律の強制収容まで想定していなかったことが、6月3日に紹介した条文上分かります。
05/08/08「医療水準4と医療関連の歴史2」前後で、医療施設の不存在とその充実強化策を紹介中でしたが、もう少しでまた精神医療関連法の解説に戻ります。
戦前のらい予防の件という法律は、原則として受け入れ者のいない人だけ救護する規定であった点は、05/10/08「親族の責任と精神病者監護法2」以下で紹介した精神病者監護法(明治33年法律第38号) を一歩進めた大正の精神病院法・・05/15/08「大正の精神病院法1(公立病院設置)」以下で紹介した精神病関係と同じ発想です。
当時は、政府に経済余力がなかった面もあって、すべての分野でその程度しか政府関与のなかった時代だったのです。
明治40年の法制定時には、らい病は感染性のものだと分かった国際学会からまだ10年経過したばかりですから、感染に関する正確な知識がなかったので、消毒の徹底や救護を主要目的としたのは、その時点では一応正しかったでしょう。
その後感染性は大したことがないと分かりますが、本来ならばその時点でこの法律を廃止するか運用を緩めるべきだったのです。
公団その他の公的団体では、設立目的がなくなっても、次々と目的を変更して存続を図っている例が多いことを、10/29/03「相続分3(民法105)(配偶者相続分の変遷1)(ホワイトカラー層・団地族の誕生)」で、住宅公団の例を挙げて紹介したことがあります。
「癩予防の件」の法律も感染性がゆるいと分かった時点でその役割が終わっていたはずです。
上記のように、旧法では、消毒のほかには、収容を目的にしたものではなく救護者の欠けている患者に対する救護が目的で、そのための収容は臨時的な手段であったのです。
地震災害などでは、仮設住宅が供給されますが、「らい予防の件」の想定も、その程度の話で、せっかく作ったのだからと地震がおさまって、何不自由なく自分の家に住んでいる人まで、仮設住宅が空いているからと強制移住させられる必要がないのと同様に、親兄弟が面倒見てくれている限り強制収容する必要がなかったのです。
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