06/04/08

らい予防法の歴史3(感染性の弱さ)

救護に関係なく収容を目的とする強制連行は、元々法に定めのない違法な行為ですから、、闇から闇と言うか公正な認定手続き・・裁判手続きなどの保障はまったくありません。

ヤミ金には、貸金業の登録がないので登録業者に対する同法での取立てルールに違反しても行政指導・・業務停止命令や登録取り消しの脅しも効きません。

無登録貸し金業者は業法違反行為に対しては、刑法犯で逮捕されない限り登録取り消しや行政指導による規制が及ばないのでやりたい放題になるのです。

しかし、実際に夜中にとりたての電話したくらいでは、脅迫にもならないので、事実上やりたい放題になりがちです。

そこで、最近ではとりたて行為の規制違反ではなく無登録営業をすること自体に対する罰則が強化されて、均衡が取れるようになっていることを、05/25/08「行政取り締まり法規とその発展(貸金業法)」のコラムで紹介しました。

このように法律違反で事実上の強制連行や優生手術・あるいは懲戒をやっていた分、適正な第三者の目が行き届かなくなっていたのです。

まして、相手が村八分になっているような超弱者ですから、関係当事者の反抗・抵抗が少なかったことも相俟ち、歯止めがなくなっていったのです。

らい病の隔離政策の元々は、1897年にドイツでの第1回らい病に関する国際会議で、らい病は感染症であることから、らい病患者を隔離する方向性が決まったことによると言われています。

ただし、そこでの議論は、病態による相対的隔離が原則であり、すべて一律隔離ということではなかったらしいのですが、わが国ではその10年後の1907年・明治40年に「らい予防法」が制定され、このときからすべて隔離の方針となったと言われています。

しかし、こうして出来上がった「癩予防ニ関スル件」という法律を見ますと、前回紹介したように、この時代には、消毒と救護が中心ですから、すべて隔離どころか、無目的な隔離方針すら、それほどはっきりしていませんでした。

その後の運用で、(法の精神に反して・・あるいは法律に違反して)徐々に収容政策が強化されていったにすぎないのです。

ですから、明治40年の法律で、全件隔離方針が採用されたと言う解説がありますが、後からの事実上の運用を見ての誤りでしょう。

あるいは、内部的には事実上採用されていたが、それは法に明記するまでは行かなかったと言う意見でしょうか?

国際会議・・国際社会では、相対隔離の方針から、その後隔離もやめる方向へ進んだのとちがって、わが国では(運用上)何故すべて隔離方針になって行ったのか疑問です。

ひとつには、設備ができてくると組織維持の本能が働いて、客層を拡大したい誘惑があった面が否定できないでしょう。

これに加えて、当時の国際思潮・・・民族間競争・・ひいては劣悪国民の排除思想と、内務省官僚による使命感・・権限拡張主義の相乗効果の結果だったのではないでしょうか?

 



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