06/09/07
パチンコは賭博か
年末年始の特番で、ちょっと世界平和と宗教について書くつもりでいたら、いつの間にか深入りしてしまい、話が変ったところに行きました。
約5か月ぶりに12/30/06「日本の競馬の歴史3(地方競馬1)」で出た賭博の話の続きに戻します。
昨年末には、賭博の例として競馬関係を書いてきましたが、身近にあるパチンコはどうなっているか、気になる方が多いでしょう。
パチンコの原型・・機械で遊ぶ方式は、大正年間にわが国に入ったといわれます。
もち論、最初は西洋またはアメリカでこういう遊びがあるくらいでしかなく、社会的広がりまでは行きませんでしたし、競馬のように軍部の応援も有りません。
刑法の出来た明治40年ころには、パチンコ遊びが存在してたとしても一般的ではなかったこともあって、取り立てて禁止もされれず、あるいは政府の独占事業になりませんでした。
(問題にされていなかったのです。)
戦後の混乱期に、正村竹一氏が『正村ゲージ』を考案するまでは、細々とした遊びの世界でしたが、この発明?で飛躍的に民間で広がってしまったといわれます。
パンは外国から入ったものですが、日本でアンパンを考案してひろがったのと同じでしょう。
そのうえ、元々は、1回の投入金額が小さく、掛け金と言うほどのものでもなかったのです。
元々当時は、一々指ではじく仕組みでしたから、(私が弁護士になったころでもそうでした。)効率が悪かったし、使う金額としては多寡が知れていたことが分かるでしょう。
後に賭博罪の条文で紹介しますが、刑法でもその場の飲食代を賭けるくらいは、不可罰として認めていたのです。
(同じく混乱期に蔓延したヒロポンとは、意味が違います。)
こうして「大したものじゃなし」と放置している間に、国民の楽しみとして広がってしまったので、今更禁止も出来ません。
かと言って、競輪や競馬のように国や公共団体の独占事業として利益を吸い上げるには、やることが細かすぎるのです。
日進月歩の競い合いがあってこそ成り立つものですから、親方日の丸形式では、ずっと前にパチンコ屋さんはなくなっていたでしょう。
そこで、先ずは風俗営業の一つとしての取り締まり対象にして、一種の管理賭博として規制し、これに便乗して発達してきたのが、パチンコの歴史です。
風俗営業法とは、風俗関係の各種違法すれすれ行為を公安委員会の規制で管理した範囲でやる限りは、許容するという境界行為に対する規制法と言えるでしょう。
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