06/30/06

共謀罪新設と共謀共同正犯論の違い2( 刑法47)

たとえば、あるとき酒を飲んでいて、「一緒に自販機荒らしをしようか」とか「覚せい剤を買おうか」と相談されただけで犯罪成立です。
その場の雰囲気で特に反対も出来ず、そのうち実際にやるときになれば、
「都合が悪いとか言って断ればいいや」
と思って、適当にあいづちを打っていただけでも、処罰されてしまうのが今回の法案です。
これでは、近代刑法の精神・・・思想だけでは処罰できないと言う思想に反し、法的安定性がまるで無視される危険極まりないことになるでしょう。
近代刑法・・基本的人権その他完成した法体系や思想に問題があるならば、それはそれで修正して行くべきでしょう。
しかし、こうした不都合に関する議論が殆どないのに、イキナリ、テロ対策と言うだけで、何ら客観的行為なしに、どこかで犯罪行為の相談をしたと言う容疑だけで、検挙し処罰できるような乱暴な法案を国会に上程する小泉内閣の人権姿勢は問題です。
古代の長屋王の謀反の話も、「私(ひそ)かに左道を学びて国家(みかど)を傾けんと欲」す」と言うのが、密告の趣旨ですが、呪詛をしたりすること自体が、当時では実行行為と見なされる時代だったのですから、陰謀だけで処罰されているのでは有りません。
あるいは中国でも多い呪詛の獄でもそうですが、具体的な呪詛行為をしたと言う(日本で言えば藁人形などの)物証が出るものです。
このような、相談だけで処罰される恐ろしい法案がとおってしまえば、政権の思惑次第で人権侵害のやり放題となってしまいます。
      「悪事を相談さえしなければいいだろう」
と思う方が多いでしょうが、相談だけで処罰できるようになると客観的な証拠が要らなくなってしまい、権力者が好きなように逮捕できることになる危険があるのです。
共犯者の供述だけでも、これを自白の補強証拠に出来るのは、今も同じですし、前回紹介したように共謀共同正犯論では、実行行為に参加しなくとも共謀に参加しただけでも、処罰されるので、一見似ています。
しかし、現行の共謀共同正犯論では、少なくとも共犯者の1人以上の者によって、実際に犯行(前記のとおり比ゆ的です)が行われた場合しか、犯罪にならないのです。
新共謀法では、まだ何の実害も犯行も行われていなくとも、共謀したと言うだけで処罰出来るのです。
何の事件もないうちに、共犯者が
    「恐れながら・3〜4年前にこう言う相談をした事があります」
と訴え出れば、いきなり逮捕されてしまうのですから、共犯者の供述次第と言うことで、何の客観証拠も要りませんから、法的安定性がまるで違うのです。
内心の思想そのものを処罰するのではなく、共謀と言う外形的に明らかになった事実で処罰するのだと言えば、一応の理屈はとおります。



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