06/23/06

防衛庁の省昇格の是非7(軍事予算増加の危険性3)

関が原の決戦の話に戻しますと、、テレビドラマでご存知の山之内一豊は、掛川の約7万石の城主でしたが、徳川方に率先して味方した功績で、土佐24万石の太守になるのですが、こうなると急激に膨張した領地に応じた家臣団の雇い入れなどで目一杯になります。
外へ向かうよりも人材の充実融和、内政の組織作りに精を出しているうちに10年や20年経ってしまうと言う訳で、徳川政権は、こうしてうまい具合に平和国家へ軟着陸出来たのです。
これに対し、豊臣秀吉は、徳川家康と小牧、長久手で戦いましたが、天下統一を急ぐあまり、雌雄を決しないまま終わり、その他も四国九州その他に兵を進めましたが、全面取り潰しではなく降伏さえすれば、基本的には、本領安堵が原則でした。
(完全消滅したのは、小田原北條氏くらいでしょう)
このため豊臣政権確立当時、武力的・・・人材的に余裕があったことが、対外的エネルギー発散に走らざるを得なかった原因ともなったのでしょう。
秀吉が天下を取ったころの軍・・・兵は、まだ、専業が少なくて兼業農家が中心でしたから、軍の自己増殖と言うよりも、秀吉の目標変更能力のなさに帰するべきでしょうが、いずれにせよ、これなどは、いくら何でも外国のせいには、できないでしょう。
太平洋戦争発端となったABCD包囲ラインは、日本の軍国化が原因で作られたものとも言えるのですから、第2次世界大戦・・南進政策の原因をABCD包囲ラインばかりに目を向けるのは、無理があるでしょう。
内部的に軍が自己増殖して行き着くところまで行ったのが、日中戦争に始まるいわゆる15年戦争、総動員体制だったでしょう。
平和国家かどうかの御題目よりも、あるいは文民支配かどうかよりも、政治家が軍事予算を削減したければ、いつでも出来る国家かどうかが重要でしょう。
日本の戦後は、目いっぱい軍事費を膨張した挙句にバブル後の不景気になっても、せいぜい0、何%しか削減出来ないような政権がつづいてきたのですが、(その後すぐに増額して、ご機嫌取りをしているのです)これでは実質的に戦前とほとんど変わりません。
ときの政権の都合で、軍事予算を自由自在に大幅に削減したり増額できる政権であってこそ、真の文民支配・平和国家と言えるでしょうし、世界中から信用されるでしょう。
どんな言い訳をしても、結果として世界第4位の膨大な軍事予算を使っている、その事実を世界中が見ているのです。



関連ページリンク

Powered by msearch
稲垣法律事務所:コラム:検索

検索ベースはこちらから

 


コラムTOP

リンクを当コラムにはられる方はお読み下さい

©2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design / Maintained by Pear Computing LLC



ブログ
株式投資