06/21/06
戦後の内閣制度6(憲法160)文民支配の基礎
何しろ、日本では、軍功に対する最大の恩賞は、領地の分与でしたから、言うならば、小なりと言えども領地経営者・・・政治家になることが夢だったのです。
専制君主国家では、領地の分与などはありえませんから、軍功に対する恩賞は、勲章の授与とか階級の昇進などが、主たる目的にしかなりません。
これでは、いくら軍功をあげても政治経験は育ちません。
このような社会では、初めから政治的能力を磨くインセンチブも、関心も育たないでしょう。
日本で、軍人が専門化したのは、明治以降西洋の真似をして士官学校制度が確立してからです。
このときから、国民と遊離した頭でっかちな組織に変身して行ったのです。
清教徒革命の説明で、クロムウエルの独裁がうまく行かなかったことを書きましたが、軍事専門家が政治をうまくやれるわけがないのです。
このひどい経験から文民支配のルールがイギリスで確立したことを、04/26/06「ピューリタン革命の意義2(クロムウエル・・軍事政権の崩壊)シビリアンコントロールの誕生」のコラムで文民支配思想の誕生を書きました。
軍人が政治も実業もやる時代から、軍事技術に専門特化した以上は、政治に口出しするのは、間違いなのです。
軍部代表が内閣に列席して、たとえば、戦端を開くべきか外交交渉を続けるべきかの主導権を、軍が握る能力もなければ、必要性もないのです。
せいぜい、ギリギリのところで今戦端を開けば、どの程度勝てるか、どの程度まで攻め込めるか、あるいはどの程度守れるかの意見を徴されれば、即答できる準備をしておく必要があるだけです。
その結果によって、もう少し外交交渉を続けるかどうかを決めるのは、軍そのものではなくあくまで、政治家の仕事でしょう。
まして、今は軍部が世界情勢を把握し、複雑な政治的妥協をする能力を有している時代ではないのです。
専門家は、準備を命じられて準備して置く事務方に過ぎず、戦端を開くかどうかの議論に参加すべきでは有りません。
戦いになれば、その戦闘方法に政治家が口出しすべきではないでしょうが、それと閣議列席とは別問題です。
その意味では、自衛隊・・軍が内閣を構成するのは行き過ぎであって、外局程度・・防衛庁にとどめるのが合理的でしょう。
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