06/20/06

国際秩序2(異文化共存できる平和1)憲法157

国際関係も同様で、国内的には、絶対権力が成立していたとしても、その外側では国際関係はいつも話し合いとその結果による妥協・・・・・道徳観に基づく説得交渉で決めるしかない時代がつい最近まで続いて来たのです。
今のアメリカのように一強時代は、歴史上なかったのです。
05/09/06「知財保護と米中の角逐2 (対価の重要性)」その他各所で書いて来ましたが、これが、私が連載してきた世界宗教成立の基盤でもあったのです。
この意見の相違が、相次ぐ戦争になったので、世界統一が必要と言う意見もあるでしょうが、これは欧米による弱肉強食思想による近代だけの話に過ぎません。
東洋や中東でも、それぞれの民族は違った考えのまま、欧米が割り込んでくるまでは、平和に暮らしていたのです。
今だけ、武力で意見統一しなければならないと考える必要は有りません。
違った考えがあれば、それも尊重しようと言うのが、本来の民主主義・基本的人権尊重の基本ではないでしょうか?
そのうえ、今のように一部の国だけが核武装している結果、何をしても武力制裁を受けず、核武装しない弱小国だけが大国の都合によって制裁を受ける仕組みでは、却って正義に反するでしょう。
それに、やりたい放題と言っても、直ぐ隣の小国も核武装してるとなれば、イラクによるクエート侵攻の様な武力占領をできません。
通商行為で不当な方法を用いるとか・・代金不払いなどやりたいことの方法が限られますので、それは通商の方法に内在する制裁(市場原理)を受けてしまうでしょう。
それが、怖いからロシアでさえ、ロシア革命以降未払いであった債務の支払いに応ぜざるを得ないのです。
核保有国でも、市場の報復が怖くて、簡単にデフォルト出来ないのです。
これじからは、05/13/06「知財保護の帰趨6(人口減社会の必要性と人口圧力」の連載で書きましたが、知財の模倣・剽窃をどうするかと言う問題の方が大きな問題でしょうか?
いずれにせよ武力の問題ではなく、市場の仕組み中で、違法行為者・・ルール違反者が損をするような制裁機能を発明するしかないのです。
特定国が超越した武力を持って、自分の考えを押し付けられる世界の方が、正義に反するばかりか、窮屈で、社会の発展にも反することになるのではないでしょうか?
このように考えると世界中が核兵器を持つようになっても、世界秩序は武力以外の別のルールで保たれていくと思われます。
これこそが、国際紛争解決の手段としての交戦権を放棄した憲法第9条の趣旨にも副うのです。
憲法前文をもう一度見ましょう。
憲法
前文
「・・・・・・・日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。・・・・」



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