06/16/06
憲法149(戦力とは?3)統治行為理論1(大人の振る舞い?)
世界大4位の自衛隊の軍事費を投下していてでも、
「これは軍でない・戦力でない」
というのでは、烏を鷺だと言いくるめるのと同じです。
これに対し、「憲法違反ではないか」と言うのが、長年にわたるわが国での論争点でした。
そこで、憲法判断を求めて、いくつも裁判が行われましたが、最高裁判所は、例の統治行為理論で、判断を避け続けましたので、今ではみんな諦めてしまっています。
統治行為理論とは、国政の根幹にかかわるような高度な政治判断については、すなわち憲法違反が重要であればあるほど、憲法判断を行わないと言うのですから、半端な悪いことをしないで、思い切って悪いことをした方が、得だという道徳教育をしているようなものです。
昔から、
「1人2人を殺せば殺人罪だが、(戦争で)100人1000人殺せば、英雄として賞賛される」
と言う、俗な諺が有りますが、これを地で行ってる世界です。
こうした裁判所の及び腰の判決が続いた結果、薬局の距離制限が憲法違反であるとかの、非嫡出子の相続分がどうのとかの日常些細な憲法違反事件だけが、裁判で認められる仕組みです。
些細なことも大切ですが、些細なことの善悪しか判断しないのって、弱いもの虐めだけしている昔の?警察に似ています。
権力の基盤に関係のない些細なこと・・民民同士の争いが中心です・・・・・だけ判断するのならば、何も3権分立などと大袈裟なことを言わなくとも昔から、分業でやってきたのです。
鎌倉時代から、問注所として、12/16/03「公事方御定書1(刑法4)(江戸時代の裁判機構1)」以下で紹介しましたが、江戸時代にも奉行所としてそれぞれ分業してきました。
03/26/06 「交換経済と窃盗5(財産権の発達)」でも書きましたが、分業が合理的であるから、分業して来ただけの、鎌倉時代や江戸時代と同じです。
庶民同士や末端の役人の汚職など裁くだけでなく、巨悪を裁けることにこそ、3権分立の意義があるのではないでしょうか?
国民は巨悪を処罰したり、
「悪い奴は悪い」
と判断して欲しいのです。
「政治とはそう言うものだ」
と割り切って、大人ぶっていれば心も平和と言うもので、これが平和を愛する国民の取るべき道だと言うことでしょうか?
統治行為理論は、
「高度な政治判断を要する問題は、国民の政治判断に委ねるべきであって、国民から政治的付託を受けていない裁判所が判断するべきではない」
と言う謙抑の思想に基づくものといわれます。
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