06/14/06
軍国日本形成の法的基礎4(武家政権と軍国日本との違い)
薩長であれ何であれ、実務に密着した元下級武士が実権を持って居る間は傀儡でも、その後ろ盾がしっかりしていたので、合理的でした。
ところが、これまで書いているように、明治中期以降は政治経験から切り離された純粋軍部が、政治に口出しできる制度にしたのですから、国家運営に無理が出るのは当然だったでしょう。
歴史上、武家政権が合理的であったのは、04/13/06「政教分離3(政治=現実処理能力)」その他で繰り返し書いているように、武士層が草の根の国内政治に密着していたからです。
しかし、明治政権で養成された軍部は、士官学校や海軍兵学校で養成されるエリートですから、国内現実政治に関与し、政治能力を磨く仕組みでは有りませんでした。
それどころか西南の役以来、国内戦争は消滅してしまったのですから、仮想的を外国に求めるしかないのです。
そうなると、国際政治のセンスが問われるのですが、国内政治も分らない組織が、国際政治が分かるわけがなかったのですから、明治までの武家政権とはまるで性質が違うのです。
私がものごとが「分かるかどうか」と言う規準は、いつも書くように、
「書斎で本を読んで、知識として知っているかどうかではなく、実際に実務家として揉まれる経験を有しているかどうか」
と言う意味です。
この無理・・・とりわけ世界情勢に無智無経験な軍部が、偏狭な愛国心で政治に口出しすれば、国際関係が無茶苦茶になってしまったのは仕方がないでしょう。
山縣有朋が、軍部支配を目指したのは、自分達の出自からして当然の帰結だったでしょうし、実際に彼等元下級武士は明治維新以降十分に活躍し、日本の近代化の礎を築いたのです。
しかし、明治憲法制定以降に出てくる軍部・エリートは、伊藤博文や山縣有朋ら明治維新で活躍した下級武士とは、その出自・本質が違ってしまうことになる点に気づかなかったのでしょう。
そして、06/13/06・・・・3「軍国日本形成の法的基礎1」で書いたように、明治憲法は、こうした世間知らずが、複雑な政治に容喙することができる制度・仕掛けに、してしまった点に問題があったのです。
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