06/14/06

軍国日本形成の法的基礎3(傀儡2)

山縣有朋の経歴を、06/10/06・・・2「明治憲法15(山縣有朋2と統帥権5)のコラムで紹介しましたが、彼が、生涯薩長土肥政権に好意的で政党政治に反感をもっていたのは、この使命感から言って一貫していたのでしょう。
後進国で民族自決の旗印のもとで、先進国の傀儡政権が第1次大戦後ころにいっぱい出来たのと似ています。
昭和期に軍国化が進んだのではなく、君主の御情けと外国に対する見栄え関係(何回も書いていますが、条約改正の必要性と言う弱みが政権側にあったでしょう。)だけで、政治権力を握っているように見せかけられていた、傀儡政権の化けの皮が、はがれたと言うところかもしれません。
元々明治政権は武力によって成立したのですから、薩長土肥政権の実務会議・・内閣は、武力を伴うもの・・・・もともと武士(下級武士であった参与)が構成していたものでした。
これを、薩長土肥に関係のない民選議会を設立する以上は、その議会の代表となる内閣から軍事権を奪ったと言うか引き上げてしまったのは、物の順序から言って当然だったのです。
現在のイラクで言えば、国会を開設し、ひとり立ちする以上は、イラクが独自に国軍を保持することになって、米軍は統治機構からは直接的には、無関係になっていくべきなのと同じです。
それだけでなく、内閣から引き上げた軍事部門が、逆に内閣に口出しできる体制にしてしまったところに、軍国主義化が進んだ原因があったのでしょう。
イラクで言えば、イラク国会や行政機関が軌道に乗っても、イラク軍の創設を許さずに、アメリカ軍が国防軍として居座り、アメリカ軍の代表がイラク内閣内に、国防大臣として居残っているようなものです。
およそ世界中で、あるいは歴史上軍事権を切り離された行政主体・・・統治権力は考えられませんから、傀儡政権といえどもみんな自前の軍を持っています。
明治憲法では、民選議会設立といっても、議会が掌握できる軍がなく、創設も出来なかったかったのですから、似非議会だったのです。
似非議会の多数党に選任される政党政治・・・内閣は、憲法制定の初めから翼をもがれたような形にされていたのです。
自分の力(武力)で政権を取らず、上からの恩恵で議会が出来上がっていった歪みだったとも言えるでしょう。



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