06/13/06

軍国日本形成の法的基礎1

軍国日本が出来上がっていった社会構造・・経済上の原因については、既に03/09/06「商人と規制の親和性2(左翼と極右の発達の土壌2) 」等のコラムで連載しました。
今回は、これを法制度上から見ています。
1・・・・民選議院設立運動・・明治憲法制定運動が激しくなると、これに対抗するために、憲法秩序から軍部を除外する策謀が進んでいたこと。(統帥権の独立)
2・・・・上記と提携して、国会が開設されれば将来民意を受けること必至の実務機関である内閣の骨抜きを図るために、明治憲法では、内閣制度をあえて無視したばかりか、重石としての枢密院制度が憲法上明記されたこと。
3・・・・この仕上げとして、軍は別立てのはずなのに陸海軍大臣を内閣の一員として組み込みその監視役にしたこと
と言えるでしょう。
普通選挙実施と抱き合わせで、治安維持法が制定されて、治安維持法ばかりが肥え太っていったのと似ていて、憲法制定と抱き合わせに憲法秩序外で天皇の軍隊を形成していったのが、ガン細胞のように肥え太ってしまったのが、明治憲法制定後〜戦前までの体制でした。
西洋でも、王と議会の対立(革命の原因)は、軍事費を賄うための増税に始まることからもお分かりいただけるように、王はいつも軍の代表でもあり、軍は王に直属しているものでした。
議会ができる以上は、軍の統帥権を、議会で選任される政府から独立させる考えは、西洋の歴史から言っても、普通に思いつくことでしょう。
しかし、王の手足である軍の代表を、議会側の内閣に送り込むのは、やり過ぎでした。
ここで、ちょっと、行政実務機関が何故、内閣と言う呼称になっているかを考えて見ましょう。
これまで、農業社会の実務に精通している武家政権の政治運営(最高意思決定)は、北條執権家でも、合議体でしたし、徳川体制でも老中の合議で行われていたのです。
江戸時代の老中の会議体を幕閣と言い、老中を閣老と言いましたが、内閣の前身と言うべきでしょう。
朝廷外にあったこの実務家の最高意思決定機関・・合議体・・閣議を、朝廷の外から内側に取り込んだのが、明治の内閣ですが(だから「内」なる閣と言うのでしょう)、元々朝廷から見れば鬼っこだったのです。
徐々に発展していた内閣の権能を殺ぐために、あえて、内閣の位置付けを不明瞭にしてしまったのが明治憲法でした。



関連ページリンク

Powered by msearch
稲垣法律事務所:コラム:検索

検索ベースはこちらから

 


コラムTOP

リンクを当コラムにはられる方はお読み下さい

©2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design / Maintained by Pear Computing LLC



ブログ
株式投資