06/13/06
枢密院の役割3(OB政治の限界3)
そこで、以下に紹介するように、枢密院が内閣の政治に口出しして、若槻内閣が瓦解した事があります。
これは、片岡蔵相の渡辺銀行だったかの不用意発言で、銀行の連鎖倒産の危機に曝されていたなど、同内閣の失政が続いた?こともありますから枢密院が悪いとは言い切れません。
その結果、伊藤巳代次顧問官による若槻内閣指弾がおこなわれ、台湾銀行救済のための緊急勅令案が否決されてしまい、同内閣総辞職に繋がるのです。
その時々に理由はあるのでしょうが、以下のように枢密院が政局を左右できる仕組みであったことが、日本の「憲政の常道」を歪めてしまったのです。
これまで書いているように、枢密院は第1次若槻礼次郎内閣の総辞職(1927年)・不戦条約批准問題(1928年)・ロンドン軍縮条約における統帥権干犯問題(1930年)において策動し、隠然たる権勢を誇っていましたが、その策動の結果政党内閣制が窒息してしまいますと、今度は軍部の台頭によって、枢密院自体の勢力を削がれてしまうのです。
源平争乱時に院や藤原氏が、源平の武士を利用しながら、結果的に武士に政権を奪われてしまったのと似ています。
参考までに、歴代議長を紹介しておきましょう。
枢密院議長
代数 在職期間 氏名
第1代 明治21. 4.30〜明治22.10.30 伊藤 博文
第2代 明治22.12.24〜明治24. 6. 1 大木 喬任
第3代 明治24. 6. 1〜明治25. 8. 8 伊藤 博文
第4代 明治25. 8. 8〜明治26. 3.11 大木 喬任
第5代 明治26. 3.11〜明治27.12.18 山県 有朋
第6代 明治28. 3.17〜明治33. 8.25 黒田 清隆
第7代 明治33.10.27〜明治26. 7.13 西園寺公望
第8代 明治36. 7.13〜明治38.12.21 伊藤 博文
第9代 明治38.12.21〜明治42. 6.14 山県 有朋
第10代 明治42. 6.14〜明治42.10.26 伊藤 博文
第11代 明治42.11.17〜大正11. 2. 1 山県 有朋
第12代 大正11. 2. 8〜大正13. 1. 7 清浦 奎吾
第13代 大正13. 1.13〜大正14. 9.25 浜尾 新
第14代 大正14.10. 1〜大正15. 4. 8 穂積 陳重
第15代 大正15. 4.12〜昭和 9. 5. 3 倉富勇三郎
第16代 昭和 9. 5. 3〜昭和11. 3.13 一木喜徳郎
第17代 昭和11. 3.13〜昭和14. 1. 5 平沼騏一郎
第18代 昭和14. 1. 5〜昭和15. 6.24 近衛 文麿
第19代 昭和15. 6.24〜昭和19. 8. 7 原 嘉道
第20代 昭和19. 8.10〜昭和20. 4. 7 鈴木貫太郎
第21代 昭和20. 4. 5〜昭和20.12.14 平沼騏一郎
第22代 昭和20.12.15〜昭和21. 6. 3 鈴木貫太郎
第23代 昭和21. 6.13〜昭和21. 9.26廃止 清水 澄
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