06/13/06

枢密院の役割3(OB政治の限界2)

広田弘毅内閣自体、組閣中に軍部から閣僚予定者のうち気に入らないものの排除を要求される始末で、軍部の気に入らない閣僚予定者の差し換えでやっと組閣が出来たに過ぎませんから、同内閣自体軍部の言いなりでした。
陸海軍大臣現役制の復活が、その後、宇垣一成の組閣流産や米内光政内閣の瓦解など、陸海軍大臣の現役制が、日本の軍国主義の深刻化に拍車をかけることになるのです。
木越中将の話に戻しますと、このようにわが国では、個人個人でみれば、自己保身をかえり見ずに、国益のために頑張る人が多いのです。
実務からのたたき上げで、国政を任される人材は、それなりに骨のある人が多いことと、実際任されると無責任なことが出来ないと思うようです。
非行少年を級長にすれば、模範生になるというパターンもその一種です。
私に言わせれば、実務から遠ざかった(軍人勅諭みたいなものを暗誦して、陶酔しているような)過去の人材・・・OBばかりで構成される枢密院が、最終決定権を握っていたのが、国の進むべき方向を誤らせたのです。
 この辺で、枢密院の構成を具体的に見ておきましょう。
6月11日・・・・・3 「明治憲法18(閣内不統一と統帥権8)枢密院の役割1」で紹介した枢密院官制によって、枢密院は議長、副議長各一名、枢密顧問官十二人(のち二十四人となる)以上で構成し、いずれも40歳以上でなければ補任されないことになっていました。
これとは別に、皇族男子・・・親王は成年に達すると自動的に構成員となり議決権を持つ仕組みになっていました。
(昭和期においては秩父、高松、三笠の三直宮と閑院宮親王のみであったらしいです)
また、閣僚は職権上、顧問官たる地位を持ち、評決に参与しうることになっていましたが、
24+親王対国務大臣数ですから、圧倒的に少数でした。
現役閣僚が事実上決定権を有するならば、内閣の上に枢密院がいらなかったでしょうから、当たり前と言えばあたりまえです。
現役閣僚は、いわば枢密院で了承を得るための議案提案者としての役割ですから、内閣構成員以外のものが中心になって議論したのでしょう。
 審議は顧問官十人以上の出席がなければ開催されない規則でした。



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