06/12/06
ポピュリズムと公の精神(木越中将)
国民の選挙で選出される政党内閣では、世論に迎合し勝ち・・・ポピュリズム・・・になることがいつも懸念されるのですが、実際には、国を預かってみると無責任な政治をする政治家は、稀と言うか皆無に近いのが我が国の人材です。
わが国では、自己保身のために、むやみに外国を非難したりして、結果的に国益を損なうような政治をする人はいないのです。
わが国では、昔から公の精神が根強かったことを、05/04/06「近代化対応能力3(「私」の中国と「公」の日本)・政治経験の差1」のコラムで紹介しました。
この公の精神は、長年政治実務への参加を通じてはぐくまれたものであると言うのが、上記コラムでの、私の仮説です。
自己保身に拘らない国民性が、明治維新で内戦にならなかった所以ですし、このシリーズで書いている軍部独走の原因になっている陸海軍大臣の任用資格についても、職を賭して頑張った軍人もいましたので、この機会に紹介しておきましょう。
1913年(大正2年)第一次山本権兵衛内閣において、木越安綱陸相は、山本の意向に従い「軍部大臣現役武官制」の「現役」の文字を削除したことがあります。
陸軍大臣として政治実務に携わってみると、軍内部の独りよがりな偏狭な考えではどうにもならないことを実感したからでしょう。
此れは当時官界に法王のように君臨した山県や参謀総長等、軍の総反発を押して(自ら軍を追われる事を承知の上で)断行したものです。
(偉いですね!)
(当時、輝かしい軍歴により国民から人気の高い木越中将は、この功績?により、軍部から中将のまま定年前に予備役に編入させられることになります。
(干されてしまったのです。)
せっかく職を賭して頑張った木越の努力も、1936年(昭和11年)広田弘毅内閣の時に「現役」の2文字が復活します。
その口実として二・二六事件に関与したと思われた真崎甚三郎(当時予備役に編入)を陸軍大臣に就任させないためとされています。
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