06/12/06

明治憲法19(枢密院の役割2)人治主議の限界1

前回枢密院官制で紹介したように、枢密院は結局は天皇の意を形成する組織ですから、天皇に統帥権が直属することに由来する、統帥権干犯問題も、閣内不一致問題も、本当は天皇の「旨」(ご意向)を定める枢密院がしっかりしていれば、問題がなかったはずです。
国がどんなに苦しくとも軍縮に反対するのは、軍部の立場上普通ですが、(後に防衛庁の昇格問題でも書きます)それを抑えて頑張った浜口総理、井上蔵相など、昭和恐慌時の政治家は結構しっかりしていたのです。
ところが、せっかく、国内経済・・国際情勢を見定めて、しっかり軍縮に方向を定めている内閣を、バックアップできなかった枢密院に問題があったと思います。
「天皇の旨」は、前回コラムで紹介した官制のとおり、事実上枢密院が決めるのですから、枢密院が、軍令部長の辞表を突き返し、偏狭な愛国心に根ざす過激な世論を静めるために、内閣支持を示していれば、この問題は収束していたでしょう。
最近のタイの政変では、タクシン首相の強引な政局運営に対し、国王が叱責し、タクシン首相が辞任せざるを得なくなりましたが、こうした役割を枢密院が果たせなくなっていたのです。
ご意見番たるべき枢密院自体が、右翼に扇動されれば直ぐに火がつく庶民レベルの偏狭な愛国心の固まりになっていたとすれば、日本は破局へ向かうしかなかったでしょう。
統帥権と山縣有朋のコラムで書きましたが、もともと民選による国会を骨抜きにするために始まった制度の総仕上げが枢密院制度であったから、生い立ちの性質上政党政治に反感を持つ人の集まりとなってしまったのは、仕方がなかったかもしれません。
他方で、明治憲法を起草した伊藤博文の時代には、まだ人材が豊富であって、長老が機能していればどうってことはない、人治主義の時代であったので、枢密院と言う人材次第の機関を置いた面もあったのでしょう。
その当時は、天皇の大権を守るのは、国是であったでしょうが、時代が変わればまた違った意見も育つ期待があったのかもしれません。
それが時代が下って、枢密院顧問官のレベルが下がって来ると、憲法の曖昧な所の良さが却ってマイナスになってきたのです。
枢密院構成員のレベルが下がってしまったところに、人治主義に基づく明治憲法が機能しなくなってしまった原因があったと言えるかもしれません。



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