06/11/06

明治憲法18(閣内不統一と統帥権8)枢密院の役割1

統帥権干犯問題が、世論受けして大政治問題になり、ときの浜口総理は東京駅で右翼に狙撃れてしまい、(後に死亡)ここから軍部の独走が始まるのです。
日露戦争の講和条約に反対した世論同様に、世論と言うものは、「国辱もの」と言う扇動に乗りやすいのですから、国民主権時代と言っても愛国心関係の世論に関しては、重視すべきではありません。
今でも韓国大統領は、国内政治人気が下がると領土その他で強硬発言したがるのは、この種の世論は刺激しやすいからです。
このような経過で、軍部の強硬な意見を斥けられなかった歴代内閣は弱体化していき、最後は事実上の拒否権を持つ軍部出身者が総理として組閣するようになっていき、政党政治は窒息してしまいます。
以後は、3・15事件、2・26事件などを媒介にして、満州事変その他、軍部の独走を内閣が追認せざるを得ない方向へ動いていったのですから、鳩山氏は戦犯の第一人者と言うべきでしょう。
内閣の弱対化の法制度的原因は、憲法の書き方に「第四章 国務大臣及枢密顧問」とあるように、国務大臣の協議の場が規定されなかっただけでなく、国務大臣の次の条文がイキナリ枢密院になってしまったことからも、憲法上内閣よりも枢密院の方が重視される関係になったことでしょう。
書き方からすれば、枢密院が、内閣に天皇が示すべき「旨」を審議・決定する場所と言えるでしょうから、内閣はその「旨」を受けて政治をする機関ですから、内閣は下位になるのでしょう。
ついでに、枢密院の役割を制度面から見ておきましょう。

明治憲法
第五十六条
  「枢密顧問ハ枢密院官制ノ定ムル所ニ依リ天皇ノ諮詢ニ応ヘ重要ノ国務ヲ審議ス」とあって、その憲法条文内の「官制」とは、明治21年四月末、「朕元勲及練達ノ人ヲ撰ミ、国務ヲ諮詢シ、其啓沃ノ力ニ倚ルノ必要ヲ察シ、枢密院ヲ設ケ、朕ガ至高顧問ノ府トナサントス、茲ニ其官制及事務規程ヲ裁可シ、之ヲ公布セシム」

という詔勅とともに公布せられたものを言います。



関連ページリンク

Powered by msearch
稲垣法律事務所:コラム:検索

検索ベースはこちらから

 


コラムTOP

リンクを当コラムにはられる方はお読み下さい

©2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design / Maintained by Pear Computing LLC



ブログ
株式投資