06/11/06
明治憲法17(閣内不統一と統帥権7)政友会の役割1
明治憲法下では、軍の統帥も含めて天皇の権能(大権)は、既に紹介したように、憲法で別に規定がなければ、国務大臣が補弼することとなっていたのです。
内閣の権能は輔弼でしかないのですから、天皇大権と本来矛盾しなかった筈でした。
行政権も勿論天皇の権限でしたから、天皇に統帥権があることから内閣に輔弼権がないと言う論理はおかしいのです。
ところが明治憲法成立前から、参謀本部制が完成した後には、慣習的に軍令については、国務大臣が輔弼せず、統帥部(陸軍:参謀総長、海軍:軍令部総長)が直接補弼することとなっていったので、軍政に関しては、一般行政権を担当する内閣にはないのだという意見が強かったのです。
軍と内閣の権限の境界が問題になってきたのです。
参謀本部の歴史を見ますと、
明治 4年 7月 兵部省参謀局設置
明治 7年 2月 陸軍省布達第106条により陸軍省外局として参謀局設置
明治11年12月 太政官達第50号参謀本部条例により、陸軍省から独立した参謀本部設置
このときから、参謀本部は天皇の持つ統帥大権を補佐する官衙となっていて、これが憲法制定後も維持されていたのです。
この軍令と国務大臣が補弼する軍政の範囲についての争いが原因で、1930年のロンドン軍縮条約の締結に関して、時の野党の政友会総裁の犬養毅と鳩山一郎(現在の民主党鳩山氏の祖父です)が、内閣が軍部の意向を無視したのは、けしからん・・・・統帥権干犯であるとして激しく政府を追及していきます。
ちょうど徳川家が、朝廷を無視して独断で日米和親条約を締結したのを、非難していた幕末の再来です。
政治家と言うのは、自分の主張が日本の国にとって後世どうなろうとも、あるいは自分の拠って立つ政党政治がどうなろうとも、目先の政権攻撃に利用できれば何でも喰らい付くところがあるので、怖いですね!
あるいは、そう言うのは、政治屋であって政治家とは言わないものかもしれません。
水戸家の野党的役割が、徳川家にとってどう言う意味があるかと言う視点を欠いていたことを、02/11/04「水戸家は政権内野党?(教養と職務が乖離すると?)」その他で紹介しましたが、それと同じです。
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