06/09/06

明治憲法12(軍人勅諭2と統帥権3)

軍人勅諭 明治15年陸軍省 達乙第2号 (1月4日)

本日別紙之通 勅諭有之候条右写相添此旨相達候事
(東京鎮台士官学校戸山学校教導団ヘハ「勅諭本書ハ追テ可相渡候事」ノ但書ヲ加フ参謀本部監軍本部近衛局ヘ通牒尤近衛局ヘハ但書ノ趣意ヲ加フ)

我国の軍隊は世々天皇の統率し給ふ所にそある
昔神武天皇躬(み)つから大伴物部の兵(つわもの)ともを率ゐ中国(なかつくに)のまつろはぬものともを討ち平け給ひ高御座(たかみくら)に即(つ)かせられて天下(あめのした)しろしめし給ひしより二千五百有余年を経ぬ
此間世の様の移り換るに随ひて兵制の沿革も亦屡(しばしば)なりき
古は天皇躬つから軍隊を率ゐ給ふ御制(おんおきて)にて時ありては皇后皇太子の代らせ給ふこともありつれと大凡兵権を臣下に委ね給ふことはなかりき
中世(なかつよ)に至りて文武の制度皆唐国風(からくにぶり)に傚(なら)はせ給ひ六衛府を置き左右馬寮を建て防人(さきもり)なと設けられしかは
兵制は整ひたれとも打続ける昇平に狃(な)れて朝廷の政務も漸(ようやく)文弱に流れけれは
兵農おのつから二に分れ古の徴兵はいつとなく壮兵の姿に変り遂に武士となり兵馬の権は一向(ひたすら)に其武士ともの棟梁たる者に帰し世の乱と共に政治の大権も亦其手に落ち凡七百年の間武家の政治とはなりぬ
世の様の移り換りて斯なれるは人力もて挽回(ひきかえ)すへきにあらすとはいひなから且は我国体に戻(もと)り且は我祖宗の御制に背き奉り浅間しき次第なりき
降りて弘化嘉永の頃より徳川の幕府其政(まつりごと)衰へ剩(あまつさえ)外国の事とも起りて其侮(あなどり)をも受けぬへき勢に迫りけれは
朕か皇祖仁孝天皇皇考孝明天皇いたく宸襟(しんきん)を悩し給ひしこそ忝(かたじけな)くも又惶(かしこ)けれ
然るに朕幼(いとけな)くして天津日嗣を受けし初征夷大将軍其政権を返上し大名小名其版籍を奉還し年を経すして海内一統の世となり古の制度に復しぬ
是文武の忠臣良弼ありて朕を輔翼せる功績(いさを)なり。
歴世祖宗の專蒼生を憐み給ひし御遺沢(ゆゐたく)なりといへとも併(しかしながら)我臣民の其心に順逆の理を弁(わきま)へ大義の重きを知れるか
故にこそあれされは此時に於て兵制を更(あら)め我国の光を耀さんと思ひ此十五年か程に陸海軍の制をは今の様に建定めぬ
夫兵馬の大権は朕か統(す)ふる所なれは其司(つかさ)々をこそ臣下には任すなれ其の大綱は朕親(みずから)之を攬り肯て臣下に委ぬへきものにあらす
子々孫々に至るまて篤く斯旨(このむね)を伝へ
天子は文武の大権を掌握するの義を存して再中世以降の如き失体なからんことを望むなり
朕は汝等軍人の大元帥なるそ
されは朕は汝等を股肱(ここう)と頼み汝等は朕を頭首と仰きてそ其親(したしみ)は特(こと)に深かるへき
朕か国家を保護して上天(しょうてん)の恵に応し祖宗の恩に報いまゐらする事を得るも得さるも汝等軍人か其職を尽すと尽さゝるとに由るそかし
我国の稜威(みいず)振はさることあらは汝等能く朕と其憂を共にせよ
我武維揚りて其栄を耀さは朕汝等と其誉(ほまれ)を偕にすへし
汝等皆其職を守り朕と一心(ひとちこころ)になりて力を国家の保護(ほうご)に尽さは我国の蒼生は永く太平の福(さいはひ)を受け我国の威烈は大に世界の光華ともなりぬへし
朕斯も深く汝等軍人に望むなれは猶訓諭(をしえさと)すへき事こそあれ



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