06/08/06

軍部独走の基盤(陸海軍大臣1)

この機会に陸海軍省の歴史をみておきますと、1869年の2官6省のときには、軍務官から兵部省となり、初代兵部卿には小松宮彰仁親王が就任しています。
しかし、他の省同様に、実権は、下級武士上がりの次官である大輔(大村益次郎・前原一誠・山県有朋)が掌握していたのです。
古代から、兵部卿に親王や公卿が就任する例が多いのですが、宮さまが、実際に兵を動かせる訳がないので、これは飾り物でした。
明治維新のときの東征大総督に、有栖川宮 熾仁親王が就任しているのも、その1例です。
これが、
   「宮さん宮さん、おうまのまあえで、ひらひらするものなんじゃいな〜!・・」
と言うトコトンヤレ、トンヤレ節になっているのです。
彼は、明治3年には2代目兵部卿に就任し、明治10年(1877年)の西南戦争では征討大総督に就任しています。
この頃は、国内戦中心でしたから、軍を動かすには「錦旗」こそ重要であったので、その旗印に使われたのでしょう。
この兵部省が1872年2月に廃止され、陸軍省と海軍省の2省に分かれて設置され、この仕組みが明治憲法制定時どころか、敗戦まで至るのです。
まだ、宮さまが陸軍大臣のままであれば、良かったのでしょうが、国内戦と違い海外の戦いが基本になってくると、錦の御旗では何の効果も有りません。
こうして実務家・すなわち軍部・・士官学校出身者そのものが、大臣になってくる時代が来たのです。
1885年(明治18年)12月22日の内閣制度発足に伴い軍大臣任用資格は、
    「軍大臣(次官も含む)は将官を以って補す」
とする陸海軍省の官制としてスタートし、1890年(明治23年)3月27日の勅令により、陸海軍省の官制が改正され、
「職員は武官に限る」と言う規定が削除緩和された(海軍は同23年陸軍は24年より)のです。



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