06/07/06

武士と軍部の違い1(純粋培養の時代1)

これまで、このコラムでは、実務の分かる武士層が、徐々に実権を握るようになっていった我が国の歴史経過は、漸進的で、合理的であったと言うスタンスで、一貫して書いて来ました。
明治憲法下での、軍部支配と従来の武家政権とは、どこが違うのでしょうか?
明治憲法下の軍人と、それまでの武士層とは、社会実質が違ってしまったと言えるでしょう。
武士は兵権を握っていただけでなく、長年兵農分離せず、言うならば明治までの主要産業実業家でもあって、(実業の分かる行政実務家でもあったのです。
兵農分離の実際については、12/27/04「兵農分離3(外様・戦国大名の場合)兼業農家の歴史1」前後で連載しました。
ところが、明治維新で農業社会に訣別し、近代産業国家に生まれ変わろうとしますと、約1000年にわたって、土にくっついて兵権を握って来た武士が、兵農分離・・・爪先立ちになります。
こうして武士は実業から離れ、さらに廃刀令に始って特権を奪われ、士官学校を出た軍人に兵権が移って行き、軍部が純粋化して来たのが明治中期以降の情勢でした。
廃刀令以降の兵権の動きについては、06/19/04「明治政府の合理化1(廃刀令と家禄制の廃止)金禄公債証書1 」前後で書いています。
明治憲法成立までの参議なども、もとは武士でしたが、下級武士出身で、それぞれ、国民と直に接して成長した人たちでした。
これに対し、士官学校出身の将校は、軍事の実務家・専門家になったかもしれませんが、徳川期までの武士層とは違い、国内産業実務=政治から切り離されてしまったのです。
明治中期以降は、学問も実生活から切り離された大学と言う象牙の塔で学び、軍人も実社会と隔離した士官学校で学ぶ時代になったのです。
大学制度の成立過程については、10/10/03「教育改革15・・・・・明治政府と学制改革(大学とは)以下の コラムで連載しました。
奇しくも?明治憲法成立と同時期の、東大の成立が明治19年で、明治20年に帝国大学令が出来ています。



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