06/06/06
内閣5と枢密院7(明治憲法4)天皇親政の虚構性2
どうせ、天皇が誰かの助言を受けて決裁する(すなわち自分の考えでない)ならば、実務担当の内閣にその権限を与えた方が明朗で合理的でしょう。
この考えから、内閣の上に君臨していた実務能力のない太政官制を廃止したのが、明治18年の内閣制度の改正でした。
しかし、明治憲法では天皇親政を標榜した以上、実務担当の内閣が、最終的な決裁権者になるような体制には出来なかったのでしょう。
要するに天皇親政の実施は実際上不可能なのに、実態に合わない制度を構想したことが、明治憲法をややこしくしたのです。
この結果、屋上屋を重ねるような制度・・内閣の上に位置する枢密院制度が出来たのですが、これでは、実務を知らない・・・あるいはずっと前に引退した長老が、現役をさしおいて重要事項の判断をするのですから、無理が生じます。
どんな大政治家でも、能力が落ちたから現役を退くのですから、現役以上の判断を出来ないでしょう。
長老の意見をヒントにして現役が判断するのはいいですが、長老が最終決裁できるのでは、現役そのものの能力がなければなりません。
これは、実力の有無がはっきりしているスポーツ選手や、音楽家を見れば、明らかです。
そのうえ、明治憲法では、天皇親政を前提にしているので、枢密院の役割も限定的でした。
枢密院は、飽くまで天皇からの「諮詢」があってから審議する機能でしかなく、常に内閣の上奏を審査する機関・・独立の合議体ではなかったのです。
内閣から天皇への上奏は、殆ど全部そのまま裁可する前提で、
「拒否するような重要な場合だけ枢密院の意見を聞けば良い」
と言う発想だったのかもしれません。
こうなると、天皇が枢密院に諮詢した方が良いかどうかを、誰かに相談しなければならなくなります。
建前で押し通すと、ものごとが複雑になるばかりです。
明治憲法制定前までの内閣は、(天皇の名であっても実際は)政治主体として意思決定する組織であったのですが、憲法制定後は、天皇自らが意思決定すると言う建前になったのですから、実態と乖離してややこしいことになります。
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