内閣4と枢密院6(明治憲法3)天皇親政の虚構性1
06/02/06「元老院と内閣の始まり1」以降見てきたように、明治憲法制定まで、せっかく内閣制度が順調に成長してきて、ついには、律令制廃止にまでいたったのですが、明治憲法では、言うならば、憲法制定前の総理大臣の役割にかわって、天皇自らが「総覧者として」果たす建前に戻ったので、行政の責任者としての総理大臣を憲法上抹殺してしまったと言えるでしょう。
太政官制度を廃止した代わりに政治を総理大臣に委ねるのではなく、太政官や総理にかわって、天皇が親政すると言う建前にしたのです。
すなわち、この天皇親政の建前から言えば、国務大臣が内閣総理大臣を経由せずに、個別に・・・直接に天皇を輔弼する仕組みになったのは一貫しているでしょう。
御前会議のイメージです。
しかし、天皇は実際には、国内政治の経験もなく、実務能力がないのですから、行政府間の調整・・・すなわち閣議です・・・なしに個々の大臣から、バラバラと政治のテーマを上奏されてもどうして良いか分からず、無理があります。
そこで天皇の意思を体現するための助言機関として、枢密院・顧問官を構想したのでしょう。
国務大臣と枢密院が、同じ章で規定されているのは、その意味で理解できます。
親政と言っても、結局は天皇や国王は万能ではないので、身近な相談相手・・・その意思を体現する側用人のような役割が必要ですから、却ってその黒子役が重きをなすようになって、政治が不透明になります。
専制君主制であった中国歴代皇帝が、いつも宦官の弊に悩まされる原因もそこにあるでしょう。
現在の考えから言えば、天皇は内閣の助言と承認で国事行為をするのですから、明治憲法では、内閣の代わりに枢密院を置いて、枢密顧問官に相談しながら決裁する事にしたのでしょう。
関連ページリンク
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
