06/04/06
内閣制度の時代2(内閣職権)
この内閣職制・・組織機構図が、明治憲法で若干の変容を受けますが、現憲法下で更に強化されて、同じ枠組みで繋がっていくのですから、明治18年以降現在までは、律令制に対する、内閣制の時代と言えるでしょう。
後に詳しく書きますが、明治憲法下では、王朝側の巻き返し?で、内閣は訳の分からない地位に落とされ、枢密院の下位に置かれてしまいます。
この咎め・・実務家軽視・・・の咎めが出たのが、日中戦争に始まり、太平洋戦争の敗戦にいたる軍部の独走でした。
この反省から、内閣制度は、もっと強化する方向へ進んでいるのですから、明治18年以降は、律令制から、内閣制度の時代になって、現在にいたっていると言うべきでしょう。
これまで、いろんな角度(例えば戸籍管理の思想など)から繰り返し書いて来ましたが、現在は明治体制の延長時代であると言う意味を、この分野でも確認できるでしょう。
この内閣制が出来ると同時に、前参議伊藤博文が、初代の内閣総理大臣として、任命されています。
「現在の組織その他国家機構や、思想が明治に始まる」
と言う私の考えからすれば、伊藤博文が、その直後に明治憲法の草案を完成させたこと、その初代総理に任命されていることからして、現在人にも明治の元勲として有名な理由が分ろうと言うものです。
そこで、明治18年に制定された内閣職権を見ておきましょう。
明治18年(1885年)12月22日、内閣制度の創設とともに、「内閣職権」が制定されました。
これは、新内閣機構の運営に関する基準として、7条から成るもので、主として内閣総理大臣の職責を明確にしたものです。
明治憲法制定後にの明治22年12月に制定された「内閣官制」と比べると、内閣総理大臣の各省大臣に対する統制権はかなり強いものでした。
(明治憲法制定で、内閣の権限が発展したのではなく、逆に弱まったのです)
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