06/04/06
内閣制度の時代1(律令制の廃止)
明治18年(1885年)12月22日、それまでの太政官制度(慶應4年(1868年)3月14日に布告された、いわゆる「五箇条の御誓文」に示された政治の方針を実現するために設けられた制度・・政体書のコラムで紹介しました。)に代わって、太政官達第69号で、新たに内閣制度が創設されています。
(1) 太政大臣、左右大臣、参議及び各省卿の職制を廃し、新たに内閣総理大臣並びに宮内、外務、内務、大蔵、陸軍、海軍、司法、文部、農商務及び逓信の各大臣を置くこと
(2) 内閣総理大臣及び各大臣(宮内大臣を除く。)をもって内閣を組織すること
前回コラムまで紹介していた会議体としての内閣は、法制度としての内閣の前身で、今回紹介しているこの太政官達第69号が、現在の内閣制度の始まりで、逆からみれば太政官制度の終焉です。
鎌倉から江戸時代までの武家政権下でも、形式上は、古代からの律令制・・太政官制度があったのですから、(将軍家もその一部と言う構成でしたし、各大名も天皇家から「・・・の守」などの官名をもらっていたのは、周知のとおりです。)このときが、701年の大宝律令から数えても1200年近くに及ぶ律令体制を廃止した大きなエポックだったと言えるでしょう。
明治初年から、このときまでの16年間にわたって、ある程度実効性をもった太政官制が存在したのは、総ての生命体が終末のちょっと前に明滅するような、明かりのともった時期といえるのかもしれません。
癌その他で死亡する人も、何故か死亡直前に元気になるものです。
学校では習いませんが、太政官制度・・すなわち律令制の公式廃止=内閣制度の開始は、大事件と
言うべきでしょう。
律令制は形骸化しながらも、幕藩体制を取り込みながら何とか永らえていたのですが、このとき終焉を迎えたのです。
武家政権は、律令制から見れば令外官でもない将軍家が、ガン細胞のように肥大化した約700年だったのですが、武家政権を実務家が権力を徐々に握っていった時代として見直しますと、歴史の繰り返しの一種であったと言えるかもしれません。
内閣制度は、これまで見てきたように元下級武士出身者が、実務を担う参議として構成して来たものですから、江戸時代までの武家政権と実質が変わりません。
幕閣を内閣として言い換えただけで、比ゆ的にいえば、旧来の武家政権を朝廷内に取り込んだ制度として見直すことができるでしょう。
(これこそが、公武合体です)
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