06/04/06

内閣の始まり4

これまで、「内閣の始まり」のシリーズで書いて来ましたが、内閣と言う言葉が、いつから使われるようになったのかについて、この辺でちょっとお浚いして、法制度としての内閣制度に入っていきましょう。
我が国で官制上初めて「内閣」という呼称が用いられたのは、明治6年の「太政官職制」の改正で、太政官正院の参議の職責として
     「内閣ノ議官ニシテ諸機務議判ノ事ヲ掌ル」
と定められたのが、最初だと言われています。
同時に改正された「正院事務章程」において、
   「正院ハ 天皇陛下臨御シテ萬機ヲ総判シ太政大臣左右大臣之ヲ輔弼シ参議之ヲ議判シテ庶政ヲ奨督スル所ナリ」
「内閣ハ 天皇陛下参議ニ特任シテ諸立法ノ事及行政事務ノ當否ヲ議判セシメ凡百施政ノ機軸タル所タリ」
と定められたのです。
これによって、輔弼責任者たる太政大臣及び左右大臣と国務国策の審議立案者たる参議との区別が明らかになった重要な分かれ道だったといわれます。
ここで初めて使われるようになった「内閣」は、その後の内閣制度及び内閣官制に言うところの内閣とは異なり、単に参議の会議体のことを内閣と称しただけのことだったでしょう。
このころは、文字とおり内部機関・・インナーと言う程度だったのです。
そして、参議が各省の卿(かみ・・長官)を兼任するようになったことを、06/01/06「参議8(明治の参議)藩閥政府」のコラムで、紹介しましたが、参議の会議体が後に内閣制度が出来たときの閣議に連なっていくのです。
太政大臣や左右大臣は、島津などの、お偉方で実務が分らないのですから、実際は維新の実力者が参議になって仕切るための機関が必要になっていたのです。
ちなみに、1871(明治4)年9月13日の顔ぶれを見ますと、太政官は、正院(太政大臣三条実美)・左院(左大臣島津久光)・右院(右大臣岩倉具視)になっています。
法制度としての内閣制度の創設は、明治18年になるのです。



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