06/02/06
元老院と内閣の始まり2
これだけ読むと、元老院は立法機関として確立したことになりますが、次の文言があるので、現在の制度に直せば、独立の立法機関というよりは、内閣の下の法制審議会のような役割にとどまったのです。
(もともと前機関の左院の職務を受け継いだのですから、仕方ないでしょう。)
それに天皇親政下では、国民に布令出来るのは天皇だけですから、独立の立法機関を想定する方が無理でしょう。
「其此可スル者ハ内閣ニ於テ案を成スノ後、再ヒ本院ニ下シテ議定若クハ検視セシム」
として、その権限は大幅に制限されていました。
議案は天皇の命令として内閣から下付され、緊急を要する場合は事後承認するだけになるなど権限は弱く、議員は元老院議官と称したました。
当時は、・・・官といい、今のように、○○議「員」、○○委「員」とは、言わなかったのです。
○○「員」と言い出したのは、民選になってからでしょう。
国会が開設され、民選議員ができることになると、「官」とは言えませんから、官ではないが、国会の構成者として構成員・員が考え出されたのでしょう。
以後審議会その他の民間からの選出構成員は、皆委員と呼ばれます。
この段階で気づくことは、内閣(参議)・・・行政府が、立法機関たる元老院の上に君臨して成案が出来ても、もう一度決裁していたことです。
今では内閣が、立法府の上に君臨するなんて考え難いのですが、 当時は立法府が内閣の下部機関になっていたのです。
(ですから、一種の法制審議会のような役割りと言えるでしょう)
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