06/02/06

元老院と内閣の始まり1

参議の話から横へ行っていましたが、5月28日・・・・・2「左右大臣と参議1」の続きです。
上記コラムで紹介した、1873(明治6)年5月2日の「太政官職制」の改正によって、天皇に対する補弼責任者である太政大臣及び左右大臣と国務国策の審議立案者である参議との区別が明らかになったと言われています。
この改正で、参議を内閣議官と改称し、右院が臨時機関化し、左院のみが常設となります。このときから、内閣と言う呼称が始るのです。
今の言葉でいえば、参議とは常任幹事のような役職で、その常任会議、組織体を内閣と言うようになったものでしょうか。
自民党の山中税調華やかなりしころ、幹部会のことをインナーと表現されていましたが、それが内閣の原初形態と言えるでしょう。
左院は正院に従属し、立法について審議し、その議決を正院に上申する機関で、議員の任免は正院の職権でおこなわれたそうです。
(要するに正院の下位機関でした)
この左右両院は、1875年(明治8年)4月14日に元老院と大審院の設置が決まると同時に廃止され、左院の職務が元老院に受け継がれていきます。
元老院は、1875年に大久保利通・伊藤博文・木戸孝允・板垣退助らによる、いわゆる大阪会議での合意に基づき設置されたものと言われています。
この元老院の権限をめぐって激しい論争が有ったそうですが、同年11月25日の元老院職制章程の改正で、元老院は
   「議法官ニシテ凡ソ新法制定、旧法改正ヲ議定スル所」
とされ、新法制定、旧法改正の意見書の建議を出来ることなります。
ちなみに初代議長は、参議の伊藤博文で、彼は天保12年9月2日(1841.10.16)生れですから、このときはまだ34歳ですから、彼も若手有望株の一人だったのでしょう。
彼のもとに、内外の法律事情に通じた少壮気鋭の官僚が元老院を構成し、法律の編纂に励んだのです。



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