06/28/05
千葉の歴史31(千葉県人とは19)
千葉県の歴史の話が、関東全般の話になり、いきなり古代に戻ったり現代に来たりしました。
千葉県の歴史と言っても、一般的な歴史のように政治史や戦争の歴史ではなく、私の関心は人種?構成史です。
千葉県の県民構成をこの辺でまとめると、海岸線から流入してきた移民の説明の外に、12/05/03「豊かな自然と千葉の歴史3」で紹介した、戦後の開拓民の流入により、気候条件の厳しい土地で育まれた、刻苦勉励型の開拓農民も千葉県人となっています。
こうして先祖代々縄文式生活様式で気楽に生活して来た土着県民の合間に、虫食い的にいろんな時代の移民が入り込んできたのが、近年までの千葉県人と言えるでしょう。
私の依頼者でも、開拓農民上がりのしっかりした人と、縄文式思考のゆっくりした人の2種類がはっきり分かれています。
その間に語弊がありますが、06/15/05「千葉の歴史25(千葉県人とは14)縄文から弥生への過渡期」のコラムで紹介した「窮民」の子孫らしい小ずるい人種もいます。
さらには、高度成長期以降に、臨海工業地帯の成立に併せて、昭和30年代から40年代にかけての労働者の大量流入、続いて昭和40年代半ばから、東京のベッドタウンとしてのサラリーマン層の流入による新住民(現在はその2世)が重なっているのが、今の千葉県人の構成です。
ちなみに、前回の衆議院選挙では千葉市以西の選挙区では、自民党候補が全滅して、一人も当選していません。
私の関係する司法試験の合格者も、この流れにそって変化し、昭和40年代までは、大多喜に城下町があった関係か?長生高校出身者や古くから商業の盛んな八日市場方面出身の合格者が結構多かったのです。
ここ10年くらいでは、合格者の殆どを占めると言っても良いでしょう。
昭和50年代から、これら江戸時代からの流れを汲む旧名門が殆ど姿を消して、その代わり、都市住民2世のしめる比率が上昇して来ました。
高校野球でも、昭和3〜40年代は銚子商業高校が全国に名をあげましたが、昭和40年代からは、ぱったり途絶えて、以後は千葉と東京間にある習志野や船橋方面の高校が甲子園で名をあげることが多くなりました。
現在の千葉県民を世界的規模で比較すれば、アメリカ合衆国のような新開地のイメージでしょう。
規模は違いますが、みんな新開地に来たムードで(過去のしがらみがない分)だけ気楽な人が多いのです。
この辺で、私が関心を持つ限度での千葉県民の歴史を一旦休憩し、次に「刑務所の作業と千葉人の労働感」の関係で、もう一度「千葉の歴史32(戦後の工場進出と、千葉人20)(千葉県人と勤勉革命の素通り7)」以下のコラムで、少し触れる予定です。
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