06/27/05

ススキと屋根材3(カヤブキ)

そんなわけで、江戸時代どころか戦後まで屋根材としての需要があったので、ススキはなくなりませんでした。
或いは、ススキが入手できたのでカヤブキにこだわる人が、戦後までもカヤブキ屋根を葺きなおしていたともいえます。
麻は、今でも衣類と繊維の用途に残っていますが、麻の自生そのものはとっくに忘れさられましたが、江戸っ子や関東住人には、ススキは身近な存在であり続けたのです。
06/16/05千葉の歴史28(千葉県人とは17)縄文土器と粘土1」以下で書いて来ましたが、坂東の地は関東ローム層、火山灰土ですので、焼き物用の粘土が簡単に入手できません。 
今でも、関東平野では益子(栃木南部)や笠間(茨城と栃木の間)など、富士山からかなり離れた地で焼き物産地があるだけです。
西国や三河のように屋根瓦を地元で作れませんので、当時の輸送手段と瓦類の重さを考えると、かなり高価なものとなります。
神社仏閣や武家のお屋敷・御殿での利用に限られ、庶民や武士でもお長屋では、瓦ではふけなかったでしょう。
捕り物映画などで、屋根と言えば瓦葺きになったセットが利用されますが、実際に町人の長屋が瓦葺だったとは、到底考えられないのです。
江戸市中では、板葺き(杉皮)が中心で、農村では藁や茅葺が中心だったのです。
こうして、ススキ(茅・カヤ)は生活必需品・身近のままでした。
この状態は明治維新でもそのままで、わが国が世界的鉄鋼生産国になるまでは、関東の田舎では茅葺、藁葺きが屋根材の主流だったのです。
ススキ・鈴木さんが、巾を利かすわけです。
昭和50年代になると、千葉県の在の方では、大きな藁・茅屋根をすっぽりブリキでかぶせる工法がはやりました。
(私の依頼者に、その業者がいました)
ダムの発達で、氾濫予定地としての広い川原が不要になってしまってゴルフ練習所や野球場などに整備されてしまったたのと、護岸工事で土手の草むらがなくなってしまい、都会地ではススキの生育の場がなくなったので、修繕するにも藁やカヤが手に入らなくなったのです。
それに鉄鋼生産が盛んになって、鉄鋼製品が安くなったからでしょう。
さらにいえば人件費が高騰して、カヤブキのような手間ひまの掛かる屋根材で屋根を葺いたり、修理する人材がなくなってしまったのも原因です。
こうしたブリキで屋根を覆った家のその後を聞きませんが、民家園に引き取られるような立派な家のほかは、解体の憂き目に遭っているのが殆どではないでしょうか?
それにくわえて近年では輸送手段が画期的に改善され、生鮮品でも全国どこからでも同じような値段で入手できる時代が来ましたので、東海地方産の瓦でも関東でほぼ同じ値段で入手できますので、全国共通の施工の簡単な屋根材になっています。
今では、辺鄙な所でも近代工法の家が殆どで、地域格差が見られなくなりました。
(旅行する楽しみが、減りました。)
こうして、ススキも今や遠い過去の記憶の世界、ハイキングにでも行かないと出会えない時代になってしまいました。(地下鉄茅場・・かやば町駅へ行ってもないでしょう。)
お月見のころになると、お花屋さんで売っていますが、その程度のことになったのです。

 



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