06/21/05

千葉の歴史30(ふさの国)木綿以前の麻の価値 1

弥生時代には、先ず食糧生産の出来る水田適地や湿地地が貴重でしたが、食べていけるようになると、衣類の価値が高まります。
話を関東平野に戻しますと、農作物の出来ない単なる荒野でも、石炭や石油が取れるようになれば、戦争してでも取り合いになるように、火山灰土で水田にならなくて、価値のない土地であった坂東の地も、麻の利用が始れば、麻の産地として有利になります。
麻の献上や商品化が進んだことから、奈良、平安以降は武蔵野の経済的地位が高まり、こういう背景で平安以降の坂東武士が台頭したのでしょう。
ちなみに多摩地区の調布市の語源を見ると、調とは言うまでもなく、租庸調の中の調のことでしょう。
調という文字だけで、布などのみつぎものをあらわすものですが、これに布がくっついた地名と言うのは、強調形というべきでしょうか?
それ以前の縄文土器時代或いは弥生時代に入っても長い間、関東平野は、無資源国で人間が住むには、極めて不利な条件だったのです。
水田が作れない、かと言って土器も作れない、石器もない(いくら掘っても出てくるのは、石ころ一つ出ないで灰だけと言うのではね!)当時の大生活革命・近代化についていけなかったでしょう。
木綿と産業革命の連載で、(たとえば05/20/05「いわしと産業革命2(明治維新成功の秘訣1)」前後の連載を見てください)麻だけの衣類生活は、大変貧しいかのように書きましたが、それは現在、木綿の出現を経験しているから書けることであって、木綿を知らない時代には麻は唯一貴重な資源でした。
麻の需要が高まった奈良・平安以降は米が取れない不毛の地であった坂東の地が、麻の産地として見直され、坂東の経済的地位が高まったものと思われます。
ちなみに房総半島の旧国名はご存知のように安房、上総、下総の3国ですが、いずれも「ふさ」として共通語です。
安房の「ふさ」だけ文字が違うのは、地形との掛詞でもあったでしょう。
「総」とは、糸へんで、繊維のふさを束ねまとめる意味ですが、昔は、海路での移動が中心でしたから、房総半島が坂東への最初の上陸地であったことからしてみると、武蔵野の麻をまとめる土地という意味があったのかもしれません。
ついでに自宅にある、岩波書店発行の日本古典文学大系 風土記451ページをみると、上総下総の国名の「総」については、頭注に「古語拾遺に『古語に麻を総と』表記していた」と書かれており、房総半島も麻の国の意味だった可能性もあります。
あえて私の意見に引っ張れば、坂東全般が麻の国であったとしても、上総・下総はその元締めを兼ねて「総の国」になったということになります。



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