06/20/05
麻の歴史3(西洋・中東の場合)兵の強弱
異民族との境界付近では、兵が強くなるという仮説の続きですが、壬申の乱で活躍した強兵は、美濃の国の兵でした。
当時は関東といえば「逢坂の関」の東側のこと、美濃、尾張がすなわち関外・・・・少なくとも東国と言われていたのです。(中国で言えば塞外)
大和朝廷の支配権の広がりによって、関は形骸化し、「知るも知らぬも・・・逢坂の関」(蝉丸法師)「夜をこめて鳥のそらねをはかるともよに逢坂の関はゆるさじ」(清少納言)と観念的な関(歌枕)になって行きます。
和歌に謳われる時代・・平安時代には、実際に異民族と対決する関外・・・東国が、いつの間にか箱根以東になってからは、坂東武者が「強弓精兵」といわれるようになって、美濃や尾張の兵はむしろ弱い評判になるのです。
坂東武者も、アイヌとの対決時代が終わって長く過ぎると、次第に弱くなってきます。
既に、建武の中興の騒乱のころから戦国時代になると、関八州の兵は人口の割りに弱い印象です。
戦国時代には、武蔵野国から勇猛な武将は一人もと言ってもいいくらい出ていないばかりか、周辺からの文字とおり草刈場になっていたのです。
話がまた逸れましたが、日本では以上のように、坂東の地で麻が大量に取れる・大量に自生しているとなれば、簡単に民族移動していったので、その結果、流通商品となり、西国でも一般に使われるようになったのでしょう。
これに対し、エジプトや、ギリシャ・ローマでは、北方とは民族がまるで違うばかりか、気候も極端に違うし、陸続きのために北上する交通手段もないなど、(昔は長距離移動・運搬には、川や海が必須でした。)簡単に移動していけない関係です。
その上、というかその結果というか、古代には文化水準も隔絶していて交易がスムースではなかったのですから、わが国のように北方で採れたということと、南方で一般化・日常生活品になったかどうかとは、同一に考えられないのではないでしょうか?
こうして麻は、存在していたものの、西洋・中東では英仏などが台頭する近代までは、貴重品のまま推移していたのではないか?というのが私の仮説です。
関連ページリンク
稲垣法律事務所コラム内:千葉に関するコラム
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
