06/20/05

入植と先住民の関係2・・・坂東武者の強さの源泉1

ともかくそれまでの移民は、先住民とは生活様式が違うので必要な土地も違っていました。
稲作であれ、イワシ漁であれ、なんであれ,先住民の住んでいないところへ住みつくのが原則でやってきたのです。
香港でも、割譲されたときは、無人に近いところだったのです。 
そのうち、入植した和人の居住域が広がってきますと、いずこも同じ民族紛争が起こって来ます。
漢民族と匈奴、アメリカインデイアンと西洋からの入植者という具合です。
民族が違うというよりも、生活の価値観が違うので、どうしても境界付近で価値の衝突が起こるのです。
よく知られた例では、漢民族と匈奴・モンゴルの関係では、遊牧民は草が命ですが、耕作民はこれを耕してしまって、台無しにしてしまうので匈奴が怒って襲撃するというわけです。
アメリカインデイアンも含めて、いつも遊牧民が襲撃するパターンですが、その前にしこしこと耕して遊牧地を台無しにしているおとなしい?(罪なものです)農耕民がいるのです。
日本では、アイヌは遊牧民ではなく、漁労(川魚をとるなど)採集型の生活だったので、そうした争いは起きなかったものの、熊や鹿が次第に山奥へ追い詰められるような形で生活域が縮小していったのでしょう。
武士の起こりについて、荘園の自衛のために発達したと習いますが、荘園に付属した武士は「青侍」と言って戦闘用にはそれほど役に立たなかったのです。
裁判所や企業の警備員みたいなもので、権威をバックにして威張っているだけで、戦闘力があるわけではないのです。
武士が戦闘集団としての面目を一新するのは、何と言っても坂東の武士団でしょう。
大和朝廷の兵も(大海人の皇子のころを想起してください)元は強かったでしょうが、平和が何百年も続けば江戸時代の武士同様に腰抜けになるものです。
坂東の武士団は何故強かったか?荒っぽかったか?といえば、異民族であるアイヌとの境界付近に住んでいる、和人の自衛集団から発達した歴史が、そうさせたのではないでしょうか?
権威をバックにしたものでなく、本当の戦闘能力が必要な武士だったからでしょう。
アイヌ人と大和朝廷との最後の戦いとも言える前9年の役、後3年の役では、八幡太郎義家など源氏の武将が有名ですが、その下で実際に大和朝廷側の兵・武人として活躍するのは主として坂東武士団でした。



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