06/18/05
関東平野の原風景とは2?(麻とススキの原っぱ?2)
麻生さん前回の苗氏の続きですが、麻に関した氏で、最近有名なのは麻原彰考でしょう。
オーム真理教の教祖ですが、彼は本名松本と言うのですが、何故麻原と名乗るようになったのか疑問です。
後に述べる大麻を利用した幻覚作用と、宗教的秘事に関係があるのかもしれません。
朝本、朝霞、浅香、淺川、朝香、浅生・麻生、浅野(野原に浅いか深いかの基準はありませんから、麻に意味があるのでしょう)などは、みな麻から取った苗字や地名だと思われます。
房総半島には、麻綿原高原と言うのもあります。
武蔵野の原風景といわれる雑木林は、江戸時代の薪炭需要にあわせて人為的に植えられたものであることを、12/12/04「関東平野の今昔(雑木林は原風景か?)」のコラムで書きました。
武蔵野は麻が全般に発達し、川原など水分のある付近の荒地には、ススキが繁茂していた草原だったのです。
私が宇都宮で修習した当時、大麻事件が多くあって、ある検事の話では、栃木県では路傍にいくらでも麻が自生しているので、これを取りに来る東京の若者がいて困ると聞いたことがあります。
多摩地区に限らず、武蔵野は原則として麻の産地だったのです。
木綿の普及による生活水準向上力は、ものすごいものだったことを、05/20/05「自給主義の精神(いわしと産業革命)1」以下のコラムで連載して、紹介してきました。
今の電気みたいなもので、一旦木綿を知れば、木綿がなければ生活にならなかったでしょう。
木綿がない時代には、麻だけですから、勿論布団もないし、その他の着る物としても、下着まで麻では直ぐ駄目になるし、暖かくないし、大変な時代でした。
義経物などの歴史映画では、みんな立派な衣装を着ていますが、木綿は江戸時代になってやっと一般化され始めたのですから、そんな衣類は有り得なかったのです。
絹などは貴人でも毎日着られるものではないし、・・・・・というところで、安藤広重の東海道の宿場ごとの浮世絵を見ても、殆どの人が尻からげで・半裸で歩いているわけです。
あるいは「映画7人の侍」でも登場人物は殆ど裸です。
衣食足りての順で、稲作が定着して食うに困らなくなれば、まず家がよくなり、次に、身にまとう衣類が必要になるのは当然でしょう。
木綿のある今から考えれば、麻といえば馬鹿にしますが、木綿が出来るまでは、絹か麻しか衣類や風呂敷など生活用の繊維はなかったのです。
こうして日用品としての麻の開発生活用品化は、縄文土器の発達同様に生活革命をもたらす人類の重要エポックだった筈です。
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