06/17/05
千葉の歴史29(千葉県人とは18)縄文土器と粘土 2
当時は運搬技術がありませんので、(車がないだけでなく、入れ物その他の補助用具からしてないのです。)地元で土が取れないと、折角の縄文時代への仲間入りが難しかった・・・・・ずっと遅れたのです。
その後の弥生時代に入るにも、水田に適した土地が殆どないのですから、なお遅れたのは当然です。
関東地方が時代の進展に大幅に遅れたというと、現在社会のように、同じ場所での産業や職業の転換が遅れたような印象ですが、昔はそうではありません。
場所がいくらも空いているのですから、時代時代の産業・生産構造にあわせて、人が移住し、適地に住む人口が増えていくやり方です。
今でも結果的には栄える所の人口が増えて、不景気な所の人口は減りますが、徐々にですから、地元で新規産業の振興が図られるだけのことです。
縄文時代といえば、関東では縄文土器が発達していなかったので、語弊がありますので新石器・旧石器時代という方が正しいのかもしれません。
ともかく漁労採集に適した生活をしていたところと、所の間の空き地に、弥生式産業構造の民族の移住が遅れたといえるでしょう。
しかも石器時代に必要な資源といえば、千葉県は地下資源・・その他の鉄や金属どころか石器に使う石すらなかったのです。
その代わり貝が取れるので、干し貝を持って遠く群馬県まで歩いていって、やじりや貝をこじ開ける石器と交換していたのです。
これでは石器時代にさえ、先進地から石器を購入するだけで、昔ながらの貝拾いですから、遅れていた可能性があります。
その後もいろんな時代がきても、あくまでで貝拾いまたはその発展形態でその時代、その時代の生活必需品を購入して来たのです。
これが後世、江戸時代の干し鰯と貨幣の交換となり、今では海を利用して輸入した鉄鉱石で鉄を作っているというわけです。
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