06/16/05
千葉の歴史27(千葉県人とは16)デイズニーランド以前と縄文人
千葉県への各時代各時代の入植民については連載してきましたが、彼らだけが、ガッツの精神で変化に適応してきましたが、旧来の土着民は縄文式生活様式で満足して明治まで来た・・・・・或いは、戦後の高度成長期まで来たと言えるようです。
勿論、これは私の独自の感想です。
何故、高度成長期までかというと、彼らの地盤である貝拾いや海苔養殖その他の生活地盤が、海岸線の埋め立てで消滅するまで続いていたからです。
それまで、貝拾いなどで生活していたのですから、なんとも凄いですよ!
今では世界的に有名なデイズニーランドのある新浦安付近の遠浅の海は、山本周五郎の作品で映画にもなった「あおべか物語」の舞台だったのです。
「べか舟」とは海苔採集やちょっとした漁のための舟で、この遠浅の海が埋め立てられるまでは、地元民はこの小さな舟を足代わりにしてのりを採取したり魚をとったりして生活していたのです。
山本周五郎は、一時この辺に住んでいて、自分でも「べか船」を持っていたらしいですよ。
ちなみに「浦安市の沿革」という市のホームページによると、浦安の埋め立てが始ったのは、第1期工事が昭和40年から第2期は昭和47年からと言うのですから、随分最近まで海苔採集生活だったことが分るでしょう。
浦安だけではなく、内房海岸沿いは、高度成長期の埋め立てがあるまでは、海苔や貝の採集で生活して来たのです。
この人たちは、最後の移民?であるデイズニーランドやマンション住民或いは、工場、或いは団地や港湾に追い出されてしまいました。
彼らは漁業補償金を懐に入れて歴史の舞台から姿を消してしまいました。
昭和42年ころから46年まで、私の身近に浦安の漁村の出身者がいて、毎日会っていましたので、たまたま詳しく知っているというわけです。
当時私たち(妻と)は、○○のおばあさんと呼んででいましたが、今考えるとまだ50代だったような気がします。
そのころは、地下鉄東西線もなければ、JR京葉線もない、まさに陸の孤島で、実家に帰ってくるというと、40分から1時間に1回のバスに乗るとかで、片道だけで半日かかる感じでした。
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