06/15/05
千葉の歴史26(千葉県人とは15)縄文から弥生への過渡期2
最新の研究では、稲作は6000年くらい前まで遡るとも言われ始めていますが、その一環として、どうも稲作=弥生時代と縄文時代とは、あっさり入れ替わったのではなく、混合型で進行していたらしいのです。
こんなことは、スピード時代の現在考えても、和食と洋食が混在し、マンションに住むようになったと言っても旧来の一戸建てに住む人もいるように、あたり前のことです。
このように考えれば、稲作と漁労採集が何千年も平行していたのは当然のことですが、驚くなかれ、最新の研究では日本では、縄文時代様式で生活していた最後の地域が千葉県だったらしいのです。
(勿論まだ研究段階で通説とまではいきませんし、研究者の試案ですから文書発表までは出来ないそうです。)
私が昭和40年代末ころに千葉に生れて初めてやってきて感じた、「何か漫画に出てくる縄文人みたいな人が多いなあ」と言う印象は結構あたっていたのです。
千葉では水田適地が少なかったのと、幸い海の幸が豊富でしたので、これまで書いて来た入植者を除いては、それでやっていけるのですから、必然的に縄文時代の生活様式が遅くまで残ったのでしょう。
海の幸と言っても外海に面したところでは、縄文時代の魚法ではやっていけませんが、その代わり、紀州から先進的な漁法が伝わり、また、移民も住み着きました。
縄文漁法では生きていけないので、元々荒海に面した海岸には、原住民が殆ど住んでいなかったのでしょう。
私の言ってるのは、東京湾に面した穏やかな遠浅の海のことです。
ここでは、子供でも朝起きたらバケツいっぱいのアサリが取れる・見渡すかぎりの遠浅の海ですから、縄文時代そのままの素手で、貝拾いしてれば済む時代が続いたのです。
言い換えれば、そこには既得権者がいますので、これまで書いて来た各時代ごとの移民の流入も出来なかったでしょう。
移民は、先住者を追い出すかたちでは入ってきません。
戦後の開拓農民も同じで、空いてるところに入るのです。
我々弁護士業務でもそうですが、既に地位のある弁護士は、新たな分野に挑戦する意欲が緩くなりがちです。
何しろ、今までのやり方で十分お客がいるのですから、広告解禁になったからと言って広告する気にならないし、(そんなことするのは、私などは弁護士として恥かしい気がしています。)その他新しい方式に変更する必要を感じ難いのです。
同様に農業で食えれば、出稼ぎに行く気が起きないでしょうし、従来の貝拾いで充分食えれば、苦労して水田を開墾する事業に挑戦しようとする意欲が起きなかったでしょう。
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