06/14/05
歴史教育のあり方5(日中・日韓)近所交際のルール1
ずっと昔の朝鮮統治について、何故日本が謝り続けねばならないか、不可解に思っている方が多いでしょう。
世界中で過去の植民地支配について、何十年も毎年のように謝っている国があるでしょうか?
それどころか、自分達は反日教育を大々的にしておりながら、他所の国の教科書にまで何故、口を出すのかと言う疑問です。
今でも、韓国や中国によるわが国の歴史教育への圧力・内政干渉が強いですが、そもそも歴史観を国家間で協議して定めると言うのは、歴史を公定することになりますが、これは歴史の本質から言って、おかしいでしょう。
わが国では国内でさえ、そうした学問の公定は、憲法違反扱いです。
中国や韓国では学問の自由がないから、国家が歴史に口を出せる土壌があり、その勢い=尺度で日本にも注文をつけてくるのでしょうか?
学問の自由の問題は別としても、(学問の自由のない国に言っても、馬の耳に念仏でしょうから)こうした問題は、国家間の協議で決めるべきものではありません。
これまで戦犯を裁くよりも自国の指導者の責任追及・反省が先であるという思想で書いて来ましたが、(どうしても処罰したいなら・・・という立場で、喧嘩両成敗の思想を紹介してきたのです。)歴史認識もお互いに自分が反省して済ましていかないと、ギクシャクするばかりで、外交的にはマイナスばかりでしょう。
主体的な個人間や主権国家間では、お互いの考えが違うのは、当たり前ですから、誤解を解くなどは無理でしょう。
やればやるほど、対立点ばかり浮き彫りになって、却ってお付き合いとしてはマイナスでしょうから、こうしたことを上げつらうのは、大人気ないというのが常識ではないでしょうか?
個人間でも同様で、隣の人や知り合いと「何が好きか嫌いか」「宗教は何か」 「誰を尊敬するか?」「何故そんな人を尊敬するのか?」など突き詰めて意見交換すべきではありません。
笑顔で適当に「こんにちは」と言ってれば、いいのが大人の社会です。
中国や朝鮮では戦前の日本の田舎社会同様に、何から何まで詮索して隣の人が何を食べてるのか?何を考えているのか気になって仕方がない意識社会なのでしょうか?
わが国でも田舎は口うるさいので、みんな都会に出てくる時代が続いたのですが、今、国際社会では周りは田舎ものだらけで、日本は困っている構図でしょうか?
日本人は、明治維新以降現代までキリスト教弾圧の歴史を事実に反して教えてきたように、中国や朝鮮からの圧力があれば、日本が教科書を変え、歴史観を変えるべきでしょうか?
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