06/11/05

戦犯とは?1(現在の喧嘩両成敗法1)戦争煽り罪2

戦犯と言えば、極東軍事裁判でわが国の戦争責任者が、戦犯として裁かれました。
戦争そのものが悪いのであって、どちらが悪いなどと言う観念は成り立たないと言うのが、私の基本的立場です。
どちらが悪いなどと言い出せば、国際社会では勝ったほうが有利になるに決まっているのですから、そんな議論は不毛です。
戦争責任を問うとすれば、外交問題を戦争に発展させた両国政治家双方に責任があるとすべきでしょう。
私の考える戦犯は、前回のコラムで書いたように、「戦争あおり罪」とも言うべきものですから、当然戦勝・敗戦両国指導者(例えば開戦当時半年前のトップから100人〜500人まで)を罰すべきだと言う考えです。
環境問題を考えるのと同様に、正しい戦争だろうと悪い戦争だろうと、結果責任で行かないと戦争はいつまでたってもなくなりません。
騒乱を起こした両当事者を処罰すべきだと言う私の意見は、それほど奇抜な考えではありません。
以前、01/26/04 「喧嘩両成敗法と生類憐れみ令1(忠臣蔵2)」で紹介した喧嘩両成敗法で、わが国では中世から単なる理念ではなく、実際に適用されてきたのです。
国際秩序が、現在の国家機関ほど強力でない時代には、国家機関が弱体であった中世の法理が役に立つのです。
勝った方が負けた方を裁くのでは、如何にきれい事を並べても、或いは裁判手続きを定めても、結果的に戦勝国による敗戦側の将兵に対する仕返し・処刑手続きの印象をぬぐえません。
もしも、軍人以外のものを処刑したのが罪だと言うならば、アメリカ軍による引き上げ船の撃沈や市民に対する爆撃による死者のほうが桁違いに大きいのですから、もっと大きな罪に問われなければおかしいのです。
それなのに、ルーズベルトやマッカ−サーその他の軍人は、1人も戦争犯罪人として訴追されていいません。
こうした疑問に対し、国際社会はどのように答えるのでしょうか?
敗戦国の将兵(捕虜)を処刑するのは、国際法違反ですから、連合軍は極東裁判の形式を利用しては実質的に国際法に反する違法な行為をしたことになるでしょう。(単純な国家による殺人罪、監禁罪等です。)
裁判さえすればいいといいならば、捕虜を裁判にかければいいことですから捕虜に関する国際法は意味がなくなるでしょう。
国際裁判だからいいとしても、戦勝国だけで構成した裁判でいいならば、日本も占領国で構成した国際裁判をしていればいいことになります。
そもそも、訴追権が戦勝国にしかないのでは、不公平です。
ともかく、公平と言う意味では、ルーズベルト大統領や連合軍が1人も訴追もされず、東条英機や日本人だけが何故訴追され処刑されるのか?その違いを明らかにする必要があるでしょう。
訴追権その他を考えて行くと、極東軍事裁判は一方的なものですから民族的恨みが残り、何時までも靖国神社参拝問題が残るのです。
裁判と言うものは、どこの国でも、何時の社会でも、公平な適用が命です。
私は、連合軍の責任者の処刑を求めているのではなく、こういう議論に発展してくるから戦犯責任を問う議論はマイナスです。
どうしてもやりたならば、どちらが悪いかではなく、結果責任で戦争被害者数に合わせて相手国の責任者の処罰をすべきだと言うのです。



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