06/05/05

イギリスとフランス革命の違い(円卓の騎士)1

イギリスではノルマンの占領軍支配でしたから、こうした機微がわからずに出身地の習慣に従って、上からの強制をし続けたでしょう。
このために下からの反抗で軋轢が生じて、もしかしたら将来台湾の外省人と本省人の民族協定が出来るかもしれませんが、マグナカルタと言うのは、民族協定みたいなものでしょう。
また、イギリスの王様は歴代ワカランチイだと言うことで歴史上馬鹿扱いされていますが、本当は大陸式支配方法がうまく行かなかっただけではないでしょうか?
さらにイギリスで始った清教徒革命、名誉革命も、こうした視点で見直してみると違った風景が見えてきます。
これまでの歴史では、フランス革命もイギリスの革命に遅れて発生したかのような文脈で教えられてきたように思います。
しかし、革命後の経過を見ると、フランスではジャコバンの独裁・恐怖政治に始って、ナポレオンの独裁に進みその後も、現在の第5共和制に至るまで、ずっと独裁権限のあるいわゆる「統領制」が巾を利かせているのです。
これに対し、イギリスも一時はクロムウエルの独裁政治がありましたが、革命に伴う混乱期だけで結局は「君臨すれども統治せず」の王権の希薄化したところで収まっているのです。
このように西洋の2大革命を比較すると、イギリスの場合は民衆を無視した占領権力は次第に力を蓄えた民衆によってマグナカルタなどで(コンモンロウの発達もこれに加わるでしょう)徐々に王権を制限され、最後に覆され、終局的には、民衆代表による実質的な支配に移行した・・占領前の古来からのやり方に復帰したに過ぎないのです。
古来のやり方・・・アーサー王物語として、有名な円卓の騎士の姿を思い出しても良いでしょう。
アーサー王物物語は、この王様1人の物語でなく、ケルト族にとっての理想的な政治の姿・・遠い記憶として残ったものではないでしょうか?
まさにわが国に連綿として伝わる、合議制と同じではありませんか?
このようにイギリスの革命は、支配者の支配の仕方の「変革」であり、本来の意味での「革命」ではありません。
「革命」とは、言うまもなく古代中国の観念であって、「天命が革(あらた)まり、」為政者の交代を意味するだけで、次の支配者も同じ王様政治を続けるものです。
中国は何回も天命があらたまって、王朝が変わっていますが、王制(皇帝の絶対権力自体)は、変わっていません。
わが国では、古来から徐々に変革があって、次第に天皇家の権力が象徴化されて行った点は、イギリスと同じですが、イギリスのような他民族支配ではなく、同一民族内でしたので革命やマグナカルタのようなな争いの結果修正されるのでなく、自然に変化していけたのでしょう。



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