06/02/05
不授布施派とキリシタン禁圧(歴史教育のあり方1)
不授不施派の弾圧の歴史は、ヨーロッパ諸国の応援がないので、明治以降信仰が自由化されたといっても、キリシタンみたいに教科書で派手に取り上げられません。
そのまま、誰にも知られずに歴史に埋もれてしまうかもしれませんが、禁圧下でもかなり強固に抵抗してきたらしいのです。
それと、もしかしたら戦後の開拓入植農民については、以前12/05/03「豊かな自然と千葉の歴史3」のコラムで書いたとおり信州、甲州出身で根性があります。
彼らはこの辺にも入植したらしいのですが、彼らがようやく作物が出来るようにしたばかりの、丹精こめた農地を取り上げるからいけないんだとも聞きます。
成田空港の反対運動が、もしも、こうした人たちの混成部隊だったとしたら、抵抗力は半端じゃないですよ。
不授不施派の禁圧に関連して、キリスト教の弾圧も取り上げておく必要があるでしょう。
西洋の圧力からかどうか知りませんが、明治以降の歴史教科書では、キリスト教の神の下の平等の教義が徳川の身分秩序に反したから弾圧したと教えられてきたように思います。
そのような理由であるあるならば、西暦1600年当時おnキリスト教国においても王制に始って各種身分社会でしたから、真っ先に西洋でこそ弾圧されていなければならなかったはずです。
キリスト教は西洋の王権や貴族階級とうまくやっていたのですから、徳川家の身分秩序だけがキリスト教の教えと矛盾したわけではないのです。
このような歴史教育は、事実に全く反することを教えていたことになります。
実際は秀吉が弾圧に転じたのは、九州征伐に行ったときか、朝鮮征伐で九州にいたときか忘れましたが、秀吉が、キリスト教徒による他宗派寺院破却を目撃または知ったことから、「何ゆえにそのような事をするか?」と詰問したことに端を発しているといわれています。
日本人は、今でも他を非難する主張は滅多にしないし、仮に非難しても控え目でないと嫌われる伝統です。
わが国はやおよろずの多神教社会であって、言論の自由などと大袈裟さなことを言わずとも、昔から人の意見をアカラサマに批判したり反対するのは好まれない社会です。
豊臣も徳川も布教の自由は認めていたのですが、他宗非難にとどまらず、唯我独尊で排撃・寺院破壊などにまで進めば、その宗旨如何にかかわらず放置できないと言うことになったのです。
キリスト教弾圧と不授不施派の禁圧とは、同じ思想で行われたのに、何故か明治維新以降不授不施派の禁圧は隠蔽されたままになっているのです。
ナチスも民主主義として成立したのですが、
「他派排撃・存在を許さない政党は、如何に民主的に選ばれてもそれは自由・民主主義の敵であって許されない」(ガン細胞みたいなものでしょう。)
と言う考えは、戦後自由世界の一致した考えでしょう。
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