06/02/05

千葉の歴史24(千葉県人とは13)団十郎の出身地(成田闘争と不授布施派1)

成田山新勝寺周辺は、近くに山や川、温泉など何の名勝もないのに、江戸時代に初詣や厄除けで売り込んで、商業ベースにうまく乗せて今に続く基礎を築いた才覚は大したものです。
これらも利根川から佐原にかけて、近代産業で揉まれた優秀な人材の流入があってこそでしょう。
歌舞伎の代表スターの初代市川団十郎は成田出身ですから、歌舞伎座では、「よっ!成田屋」と声がかかる慣例です。
団十郎の有名な「にらみ」の所作も、成田のお不動さんの目玉をイメージしたものといわれています。
また息子の新之助が、昨年末ころ「海老蔵」を襲名したことで、彼のポスターがあちこちに張られ成田山の宣伝に使われていました。
こうして、利根川および周辺湖沼群一帯は江戸時代初期から、商業化の洗礼を受け、かなり勤勉革命が進んでいたように思います。
ところで、成田空港反対で長年争っている地域の人たちは、どういう民族でしょうか?
どうも、アバラ骨が何本か足りないといわれている千葉人の普通のイメージとは違いますね。
私はすごく関心があるのですが、いまだによく分かりません。
空港近くの宗教的特性を見ますと、仏教の中では他宗排撃など厳しいことで知られる日蓮宗の壇林(今でいうところの学校ですが、語源としては栴檀は双葉より芳しから来たのでしょう。)が今の八日市場市(これも平成の合併で来年4月から匝瑳市になるそうです)に置かれていただけに日蓮宗の影響の強い所のようです。
八日市場市の飯高壇林は、全国の日蓮宗の壇林中では最高位の学問所であったとも言われます。
これが、現在の立正大学の母体・前身というわけです。
古来「門前の小僧、習わぬお経を読む」と言うくらいですから、地元住民に対する教化力は半端でなかったでしょう。
その結果かどうか知りませんが、多古町の周辺は、日蓮宗の中でも純粋と言うか、最も厳しい不授不施派の根拠地の一つでもあったと言われています。
宗教弾圧といえば、キリシタンだけしか教科書で習っていない方が多いと思いますが、江戸時代には、もうひとつあったのです。
不授布施派の教義はあまり他宗派排撃がきついので、幕府から禁圧されてしまったので、地下にもぐって隠れキリシタンみたいな生活をして、江戸時代ずっと耐えてきたのです。
日本人は、今でも他を非難する主張は滅多にしないし、仮に非難しても控え目でないと嫌われる伝統です。
不授不施派の根拠地としては、岡山か姫路か忘れましたがその辺が有名ですが、その根拠地の一つが、成田空港近くの多古にあったと言われています。



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