06/01/05
千葉の歴史23(千葉県人とは12)香取神宮
現在の佐原市内かどうか知りませんが、佐原駅から車で10分程度の所、(佐原香取インター出口から車で2〜3分)の所に香取神宮があります。
この神宮は、神武天皇18年に創建されたと伝えられ、国家鎮護の神社・海上守護神として尊崇され、戦時中は、戦艦の舳先に香取神宮のマークか何かをつけていたようです。
なお、現在の本殿は、綱吉が1700年に寄進したもののようです。
ところで「神宮」と言う呼称は、平安時代の延喜式では、伊勢神宮と香取神宮、それに川を隔てた地にある鹿島神宮の三神宮しかなかったらしいのです。
今では平安神宮や明治神宮など多くなっていますが、両神宮は結構古代から格式の高い神宮です。
何故、畿内から遠く離れた場所に、しかも接近して二つも存在したのかと言う視点から眺めると、地理的にはこれまで書いて来たように、古代畿内勢力の東漸は水運を利用していたものだったでしょうが、(日本武尊)その最果てだったからではないでしょうか?
鹿島神宮は、神武天皇即位の年に創建されたと伝えられています。
それにどこかで読んだことがありますが、香取や鹿島近辺では、小太刀などの武術が盛んな歴史があり、(無手勝流で有名な塚原ぼく伝は鹿島神宮の神官の子といわれます。)しかも、藤原(中臣)氏の出身地としても有名です。
この点は、大鏡に書いてあるだけなので、史実かどうか争いのあるところらしいのですが、全くのでっち上げではなさそうです。
ワザワザ鄙びたこの地を出身地として、後世でっち上げねばならない理由もないからです。
(天下を取ると、どちらかと言うと自分の出自を立派にしたがるのが普通であって、ワザワザ田舎に持ってくる必要がないでしょう。)
中臣氏が勢力を蓄えた背景には、この辺で砂鉄が取れたことにあるとどこかで読んだことがありますが、出雲も鉄の産地でしたし、古代社会でも資源が重要な要素だったのでしょう。
鹿島神宮の宝物館には、日本で最大の直刀で、慶雲元年(704)に鹿島の砂鉄で制作したと言う「直刀・そう霊剣」(国宝)があるそうです。
神武天皇の危機に際して助けたと言う伝説の宝剣です。
事実は、この地の鉄器民族による応援を得たということでしょうか?
住友金属がこの地に製鉄所を建設したのは、それなりの歴史があるのです。
鉄の関係から見直せば、銚子河口付近は資源あり、水運良しということで古代から注目されてきた土地だったことになります。
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