06/01/05

千葉の歴史22(千葉県人とは11)醤油3

前回はキッコーマンの大量生産方式の成功を書きましたが、最近は大量供給品のブランドよりも特殊工芸品的な製品への回帰から、お歳暮でも、小豆島の何とやらの醤油など個性的な商品が好まれる時代になっています。
こうなると大雑把な仕事の好きな、房総の民(もしかしたら茨城・埼玉の民も・・・?)は苦手なようです。
これから日本製品は、工芸品的な製品(高級品)に活路を見出していくしかないのかも知れません。
こうした考えは、01/11/03「文化発信国家へ(教育改革の方向)1」以下で連載と平成17年5月26日・・・・1「軍事同盟の今昔と製鉄所の役割 3「パックスアメリカーナ4」のコラムでも、書きました。
ちなみに、醤油と言えば野田キッコウマンだけでなく、銚子市のヒゲタ醤油ヤマサ醤油も有名ですので、念のため付け加えておきます。
このように、利根川流域では、水運を利用した商業的な志向が強かったことから、各種商人が頑張ってきました。
その基礎の上で、01/01/03「お正月を迎えて」以下各所のコラムで紹介した伊能忠敬は、その代表選手ですが、先祖代々の商業活動を通じて脳みそに刺激を受け、思考力に磨きがかかっていたのだと思います。
それと、利根川近辺での相次いだ水利事業が、測量技術への関心を地元に植え付け、伝播した功績があるでしょう。
繊維産業の発達と法的思考力の訓練・商業活動の関係を、05/26/05・・・3「いわしと産業革命7・完(製鉄所と製糸工場の役割5)商取引の発達の基礎」のコラムで紹介しました。
ところで、優秀な人は幕府天文方にもいくらもいたでしょうから、要は彼・伊能忠敬の資金力に幕府が、目を付けたのではないでしょうか。
大勢の人数で、測量用の資材を担いで全国を歩き廻るにはかなりの資金が必要ですが、幕府は資金不足ですから、資金の出してくれる商人・スポンサーが必要だったのです。
利根川の氾濫対策や印旛沼の干拓工事については、12/09/03「千葉の歴史7(千葉県人と海洋史観3・・勤勉革命)」で紹介しましたが、こうした工事の繰り返しの経験もあって、印旛沼周辺の農民もかなりしっかりしていますし、現在の冬季不耕起、湛水田提唱者は佐原の人です。
その他、佐原に行ってみると、地酒ならぬ地元醤油があったり、粋な料理屋があちこちにあったりと昔の栄華を忍ばせるので、時々妻と食事を兼ねて出かけています。
ちなみに、今年の平成大合併で、佐原市は近隣とあわせて来年から香取市になるそうですので、来年(2006年)から新しい地図を見るときは、香取市としてみてください。



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