06/29/04

殺傷目的から武術・スポーツへ 5

話が平和憲法論から我が国の農政、皇室のあり方、さらには刑法の名誉毀損まで行ってしまいましたが、03/07/04「武術からスポーツへ 4(鎖国と平和主義) 」のコラム以来の江戸時代のスポーツの話しに戻しましょう。
文武両道とは言うものの、褒美を与えるだけで、(寛永の3馬術といっても結局はそれだけのことでした)実務能力がない者を、奉行その他の役職に抜擢するようなことは出来ません。
優秀者1人ないし数人だけ表彰してやれば、関係者は大感激ですし、及ばなかったものは更に精進するでしょう。
こうして体力派は、体制内粗暴者に組み込まれて行きます。
権力者としては、安上がりな方法を発明したものです。
尤も、名誉だけでは実利が有りませんので、江戸時代の名の通った剣術家は、半端な禄を辞退してみづから浪人して道場主になって稼いでいたものです。
道場を開くほどの域に達しない者で、しかも、もともと仕官していないはぐれ者は、体制外粗暴者として、やくざなどの集団に属すことになるのでしょう・・・・・・平手御酒などがその代表ですかね?
以前にも書きましたが、近藤勇などは、うまいところで浪士隊の募集があったので、体制外粗暴者にならずに済んだのです。
現在でもそうですが、体育会関係者がたった一人でも不祥事を起こすと、そのチーム全体が謹慎状態となって、出場辞退するなど過剰反応するのもこうした歴史はあるからでしょう。
対外的に平和主義になっても、国内治安維持(政治学で言うところの物理的強制装置)は必要ですし、その限度で体力派は有用です。
ここでまた話しが変わりますが、私達が学生時代には、学生運動が盛んでしたが、何故かスポーツ系学生(そのころは体育会系といっていました)は、常に当局派となっていたのが不思議でしたが、こうした歴史を考えて行くと原因が分りますね。
こうして、各種武道場は幕末の新撰組などの供給源、現在では警察や機動隊の供給源になっています。
話しを戻しますと、こうして武術は戦闘目的という実用から遠のいた分だけ、次第に様式美・精神性が重視されるようになります。
本来死闘用の武術実用段階では、様式やルールにこだわっても、負けて殺されてしまうのでは何にもなりませんから、様式やルールとは両立できません。
槍は突くものですが、本当の戦いでは、足をはらうのに使っても、最後に勝てばいいのです。
武士の時代の幕開け、保元の乱では、鎮西八郎為朝が夜襲を提案して、公卿の左大臣頼長に旧来の様式に合わない田舎武者の発言と一蹴されてしまうくだりが有名です。
平安時代には、江戸時代と同じで平和な時代が続いて軍事そのものが様式化していたのです。
左右の大将と言っても、人1人切ったこともない貴族がなっている時代でした。
この時代には死刑がなかったというのですから、江戸時代の平和主義とは桁違いに平和な時代でした。
他方敵方についた兄の義朝も同じ提案をしたところ、信西にすぐ採用されて、平家・源義朝連合軍は逆に夜襲を仕掛けてきます。
こうして、為朝ら源氏は防戦に回ることになって、結局上皇側の敗戦となってしまうのです。
本当の食うか食われるかの争いになれば、ルールにこだわっていられないことが証明されたのです。




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