06/21/04
明治政府のリストラ3(金禄公債証書3)資本市場の発達と起業家の勃興
なお明治8年9月には秩禄の支給方法も改革され,同年度以降,秩禄の支給は現米を廃止,前3カ年平均の各地方貢納石代相場を基準として金禄が改定されて支給されることになりました。
このときから、家禄(正確には家禄だけでは有りませんのでその上位概念である秩禄と言われていました)は、1000円とか500円などと金額で表示されるようになっていたのです。
03/29/04「沽券から地券へ1(大化の改新と明治維新の類似性)」のコラムで紹介しましたが、1873(明治6年)年7月の地租改正
によって、納税が米などの現物から、お金になったのを思い出しても良いでしょう。
このようにして、士族も強制的に貨幣経済に投げ出されることになりました。
そこで、明治9年の条例では、石高ではなく金額表示になっていたと言う訳で、何石取りからいきなり金禄公債になったのではありません。
その前に貨幣単位に改めていたのですから、政府は用意周到です。
ところで、上記のような7年先の公債では食べて行けませんので、必然的に公債を割り引いて換金する人が出てきます。
地租改正によって、農地の売りが出たのと同じです。
こうして、金禄公債売却の受け皿として、取引市場が生まれ現在の証券市場の始まりにつながるのですから、経済史的に見ても、重要な事件でした。
その頃、信用ある債権など民間にはなかったので、我国の債券市場は、国債の売買から始まったと言えます。
熊本神風連の乱その他の不平士族の事件は、表向きは廃刀令に対する反発だったとしても、(一般歴史書ではそう書かれていますが)実質的には、経済的締め付けに対する不満が(1時金を元手に商売できる人は決起しません。そうした能力のない人たちです)決起につながったのかもしれません。
西南の役も明治10年ですし、家禄制の廃止・大リストラの年ですから、今でいえば、首切り反対の労働争議・工場占拠というところでしょうか?
士族の商法という言葉を聞いたことがあるでしょうが、否定的な印象ばかりが多いですが、この1時金が大きな影響を与えたのだと思います。
士族でなくとも単に纏まったお金を持っているだけでは、ジリ貧ですから、この際何か新しいことに挑戦してみようというのは、普通の心理でしょう。
こうして元藩主は、かつての家臣を食わせるために、藩単位で大きな事業を起こすのが普通でした。(経済史では、殿様資本と呼ばれます)
話しが横にきますが、寅蔵の浪曲で有名な「駿河の国に茶の香り〜」と謡われる茶の栽培は、勝海舟が旧幕臣を食わせる為に始めたものです。
現在の地方自治体が、必死になって住民の職場創出に努力するのと同じですし、これまで、安閑としていた国立の各団体が、いきなり独立行政法人とやらにされて、生き残りに必死になっているのと同じです。
家臣は家臣で自助努力で頑張るのも出たわけで、失敗が多いのは仕方ないとしても、健全な風潮でした。
こうして、日本資本主義、産業振興の元手が、国から支給された(と言っても政府としては紙切れを渡しただけです。)のですから、金禄公債の発行・家禄制の廃止は、資本市場の始まりになっただけでなく、日本の産業革命に大きな影響を与えたことになるでしょう。
元はといえば、従来どおり無役のものにも家禄を支給していたのでは明治政府の財政がもたないので苦肉の策で始めたことですが、そのリストラが結果的に明治維新、近代化の強力な援護になったのです。
明治政府は、こうして、地租改正、農地売買の自由化により農民を労働市場に押し出し、家禄を廃して、金禄公債発行によりで民間から産業近代化のための資本を供出させ、士族を失業させてホワイトカラ―層を予備軍としたもので、明治10年までに、3点セットがそろったと言う訳です。
アメリカのシリコンバレーが、失業者によって始まったのと同じです。
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