06/18/04
男の沽券・面子4(恥の文化・・・菊と刀2)廃刀令
今は寄り道していますが、後のコラムで「武術からスポーツへの流れ」に戻ったときに、詳しく書きますが武術が実用から離れたことによって、外部評価が重要な要素になって来たのです。
現在でも、実力で生きている人は、人並みに何かを揃えるとかの外見にあまりこだわりません。
自由主義、市場経済の本拠地であるアメリカでは、ジーンズに始まってスニーカーでの出勤などカジョアルな服装が市民権を得ているのは、実力主義が根底にあるからでしょう。
徳川家では、文治主義に舵を切った後に、無用になった武術・体力派の処遇に困った結果、そのはけ口として武術奨励策をとったのですが、優秀者に与えられる名誉とは逆に実質的な職務は与えられません。
あるのは名誉・格式だけです。
江戸時代には、体力派だけでなく、戦闘力としての武士層全部が、原則として意味がなくなったのですから、名誉と実力の乖離は原則として武士全般の問題になったのです。
そうなると、武士層の精神安定剤としての思想が必要にならざるを得ません。
そうして生まれて来たのが、「葉隠れ」に代表される、「武士道」と言う精神論でしょうし、象徴的なものとしての刀の携行があるでしょう。
本来江戸の街なかで、刀で身を守る必要はなくなっていたのに、外出時はいつも刀をさしていなければなりませんでした。
各大名家のお城勤めでも同様です。
いざと言うときの武器が必要と言うならば、お城に置いておけばいいのですし、刀一本で、城を守れる時代ではなくなっていましたよ。
武士は、「刀は武士の魂」と言うわけの分らない理屈ですが、両刀手挟んで威張って歩き、その他の身分とは違うぞ!と言う格式だけがよりどころだったのです。
例えば,仮に剣術が出来ても、奉行などの実務は出来ません。
ほんの一握りの適応できた武士を除いて大多数の武士は、格式と実務処理能力が乖離してしまったのが江戸時代でした。
支配階級全般に(ひとり二人が恥をかくのは、どこの世にもあるものです。)実力と格式の乖離が構造的に起きたのが、諸外国やその他の時代と江戸時代の大きな違いです。
こうして構造的な恥の文化、面子を重んじる文化が江戸時代に特徴的に発達したものと思います。
このように文字とおり、「武士の魂」として刀だけは落ちぶれても手放さずに保って来た武士の面子も、明治維新で木っ端みじんにされてしまいます。
徴兵制度の定着の為に、山県有朋の建策によって1876年(明治9年)3月28日に官吏制服など、正規の服装の場合を除き、帯刀を禁止する太政官布告・すなわち廃刀令によって止めを刺されたのです。
廃刀令によって、実体と乖離した仮面・名誉が剥ぎ取られた結果「武士は食わねど高楊枝」と言う「やせ我慢のモラル」は、このときから不要になったのです。
それからおよそ130年経過した今日、名誉と実力の構造的乖離はなくなって久しいのですから、今どき、面子や沽券にこだわり、声高に言う人たちは、個人的レベルの問題、自己評価の甘い人たちと言うことになるのではないでしょうか?
スポーツ発生の歴史をこのように考えれば、スポーツマン・体力派に面子にこだわり、沽券にかかわる人が多い原因が分ります。
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