06/12/04
畑作牧畜文明 (粗放農業)の日曜休日と稲作文明の休日1
平成16年5月15日のコラムで、日曜日の休日について少し触れましたが、八百よろずの神を祭る行事や、お釈迦様のいろんなお祭りが慣習的休日に定着せず、まったく生活習慣の違う筈のキリスト教徒の日曜日・安息日が、慣習法的な休日として定着したのは何故でしょうか?
英語やドル同様に英米が世界を牛耳っているからだと言えば、そう言えないこともありませんが、それだけではないと思います。
英語やドルは別に合理的で優れているから普及しているのではなく、世界国家だから普及しているに過ぎません。
日曜休日の普及は、それと同じでしょうか?
私の独断的推測ですが、森の生活プラス稲作文化融合を起源とする神道と長い間に同化していた仏教的行事は、共に近代工業社会の労働形態とは、かみ合わなかったのだと思います。
却って、畑作・牧畜文明圏で発達した7日ごとに休息すると言う生活パターンが、(イスラムでは金曜日・・・7日に一回休みです。)工場や学校、近代商業労働形態に合致したからではないでしょうか?
ここで言うところの近代・・・・と言う表現は、決して優れていると言う意味で言っているのではなく、時代区分を言っているだけです。
ただし、同じ週一回の休みでもイスラム歴によらず、キリスト歴によっているのは、まさに現在の世界支配勢力がキリスト教国であるからでしょう。
何故、畑作・牧畜文明では7日に1回休みが必要で、稲作文明では必要がなかったのでしょうか?(ここの議論は、7日単位か中国の5日単位かの人間のリズムを議論するのではなく、5〜7の短い周期での一定間隔の決まった行動形態になった理由です)
私は、他人任せ社会か自作農・自主的な個性社会かの違いが大きかったと思います。
他人任せ・奴隷作業中心社会では、少しは成果にも楽しみであるとしても大きな意味がありません。
むしろ、次の休みが楽しみの中心となりますから、一定時間ごとに機械的に休みが与えられる必要があります。
これに対し、自主作業・好きな遊びや勉強、個人事業では、仕事の進行具合によって自分で休憩時間を決めれば良いことです。
こう言う社会では成果が出てからお祝いする収穫祭などの長〜いスパンのまとまった休みが主流になるでしょう。
細かい休みまで、他人に決めてもらう必要はありません。
我国の稲作労働、特に集約化が進んだ江戸時代以降の稲作では、農作業は他人任せではうまく行きません。
現在の果樹園芸でも同じことがいえるでしょうから、稲作かどうかではなく、集約農業か粗放農業かの違いが大きいのかもしれません。
安田氏の諸論文では、畑作・牧畜文明か稲作文明かの違いが強調されていますし、宗教観などはそうした骨太の解説が妥当するのでしょうが、休日に限ってみると、それだけでは果樹園芸の違いが説明できません。
江戸時代以降、我国特異の発展を遂げた集約、こってり文化、きめ細やかなものを尊ぶ文化と粗放文化の違いが大きいでしょう。
いまや農業が身近でなくなったので読者に分り難いとすれば、アメリカで発達したジーンズと肌ざわりの滑らかな絹織物、着物文化との違いを言えば良いでしょうか?食物で言えば和食とハンバーガー比較すればキリがないでしょう。
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